
沖縄の海が、戦闘機に乗っているようなアングルで写されている。
ソウルの中心街からバスで20分ほど北へ離れた平倉洞(ピョンチャンドン)は高級住宅街で、韓国最大の床面積を持つギャラリーガナアートセンターを含め、私設美術館やギャラリーが集まっている地域である。
トータル美術館は、その中でも特異な部類といえよう。
まずその建築が異様である。
平倉洞は、花崗岩でできた北漢山(プッカンサン)の麓に位置しているため強い傾斜のある地形で、美術館にたどり着くまでにも相当急な坂道を上ることになる。
しかし同美術館は整地を突き詰めて行うことなく、地形を生かしたまま建てられている(設計は本館の共同設立者であるムン・シンギュ。館長は妻のノ・ジュニ)。
そうした構造のため、正面玄関から展示室に行くには地下に向かわないとならない。
建物内の階段の踊り場や展示室に行くと、いきなりむき出しの岩に出くわし、驚かされる。
大学路に1976年に開館した、デザインを扱うトータルギャラリーが同館の始まりである。
「トータル」という名は、共同設立者のムン・シンギュが1971年に提唱した、「デザイナーは、利便性だけに走るのではなく、生活全体のデザインをせねばならない。そのためには、各分野のデザイナーが協同せねばならない」という「トータルデザイン」という概念に由来する。
その後1984年に京畿道楊州郡長興面に、野外彫刻公園を備えた長興(チャンフン)トータル美術館を開館、大学路のギャラリーは1992年に現在の地に移り、美術館として再開館された。
平倉洞のトータル美術館の野外には舞台もあり、展示のほかにも公演などが行われる。
屋上など、その他の場所にもアーティストインレジデンスに使われるような作業場、建築の一部となったような作品、パフォーマンスやイベントをやったような跡が散りばめられたようにある。
何か案内があるでもなく、まったくそっと置かれているので、出くわすとこんなところにも作品が、ここには何かあるのかな、と探検をしているような心持ちだ。
リウム美術館ができた漢江鎮(ハンガンジン)もそうだが、高級住宅街にこういったユニークな建物が突然出現するのは、ソウルでもそうないことであったと思う。
平倉洞の既存美術館やギャラリーの重厚な建築に対し、トータル美術館は個性的な建物自体も楽しむことができる。
(右)マルセル・デュシャンのレディメイド「ボトルラック」にワインの瓶が差し込まれている。この横にカフェがある。

さて、今回の展示『リフレイン:バルカン-沖縄-韓国』について触れていこう。
本ページのメインイメージにもなっているフライヤーの写真には、1945年、空中と海で日米軍の激しい戦闘が繰り広げられた沖縄の海が写っている。
ここは沖縄戦で最初に米軍が上陸した地であり、写真家・比嘉豊光が現在ペンションを経営している場所でもあるという。
バルカン-沖縄-韓国と聞いて、これらを結びつけるものは何か、と連想すると、この「戦争」というキーワードが出てくるだろう。
この3つの地は、幾度にもわたる激しい戦闘や他国からの侵略を経て、その歴史や位置、地形のために他国の宗教や文化が複雑に入り込み、それらが折衷された文化を自分のものにしていった地域である。
そうした歴史は、おのずとそこに住む人びとの精神形成や、政治的態度に影響を与える。
また1990年以降、「バルカニゼーション(バルカン化)」という言葉にも象徴されるように、主義主張によってどんどん国や勢力が分裂・分化し、人々の間に多くの溝ができた場所でもある。

古代ギリシャでは貨幣の代わりともなった塩は、労働の対価として金と汗を象徴する。
限りない空との対比。その間に私たちがいるが、塩に足をつけるしかなく、空は遠い。
アタナシア・キリアカコスは他に、韓服デザイナーのチョン・ヒスクとコラボレーションしたインスタレーション『Invitation: Moons rising』を本展のために製作した。西洋式のウェディングドレスと、韓国の伝統的な婚礼衣装が向かい合って立ち、互いの胸のあたりが多数の糸で縫い結ばれている。

クルト・シュヴィッタースによる音響詩「ウルソナタ」を歌う口。
しかし時おり反戦を歌う日本語のラップが混じる。
本展の下地となっているテーマ「故郷への帰還」を表す『オデュッセイア』が抒情詩人によって歌われ伝えられたことにも通じる。
本展では、韓国のイ・ヨンチョルとトルコのアリ・アカイの2人のキュレーターが、この3つの地で活動する14名の作家の作品を展示し、それぞれの記憶と現在を提示する。
むろん冷静な研究結果のようなものではなく、ふるさとの記憶や私的な記憶に起因する葛藤、ジレンマなど、当地の人びとが内包する感情や精神性といった熱のこもった生々しいものだ。
しかし、その土地の者でない人間にも、私的で閉じられたような印象や、他人事のような印象を与えることはない。
それはこの3つの地のうちに、私たちにも身近な沖縄や韓国という場所が含まれていることも大きいであろう。
参加作家は、韓国からパク・ミナ(박미나)、ホン・ソンミン(홍성민)、チャン・ファジン(장화진)、チャ・ドヨン(차도연)、日本からは比嘉豊光、高嶺剛、照屋勇賢である。
トルコをはじめ、アメリカ、ドイツ、コソボといったバルカン半島に関連する地域からは、サザ・パーカー(Saza paker)、エリフ・セレビ(Elif Çelebi)、テイフン・エルドグムス(Tayfun Erdoğmuş)、Susan Kleinberg 、アタナシア・キリアカコス(Athanasia H kyriakakos)、ドリトン・ハズレディニ(Driton Hajredini)、ヤコプ・フェリ(Jakup Ferri)が参加している。

上が緑、下が黄色の画面に、虫が訪れ黄色部分に溺れていくのを見て、これが蜜(実はオレンジ味のファンタ)であることがわかる。
「最後のバルカン戦争」と言われたユーゴスラビア紛争後のマケドニアで開かれたワークショップで撮影されたもの。長らく会場となっていた修道院は、幾月ののちに爆撃で破壊されたという。
セレビの作品は他に、『オデュッセイア』に出てくる牛やタコやヤギなどの動物を小さなメモに描き、そのメモで世界地図を作った『無題』などが展示されている。
また企画者は、「故郷への帰還」を含めるために抒情詩『オデュッセイア』を本展の下地に敷いている。
抒情詩人によって歌われ、受け継がれてきた物語を、改めてこの3つの地の音で再現しようともしているのだ。
アリ・アカイによると、本展ではトータル美術館の花崗岩で囲まれた地下の展示室の音響効果を重要視しているという。
展覧会名には、生き物の活動、生の衝動としての「リフレイン」という意味合いが込められているのに加え、3つの地から集められた音響効果をもつ作品同士の音が反響しあい、共鳴しあい、混ざり合う効果を期待したとのことだ。
確かにこの展示に出展されている作品は、比嘉豊光の作品を筆頭に、口述で伝えられた歌や物語が実演された映像作品が多く、言語も背景も異なるそれらの音が混ざり合い、祈りのように聞こえもする。
また企画文には、「バルカニゼーションを肯定的に見」、「(3つの地を含むひとびとの生が)単純に、残された記憶が保管された場所に頼るといった、担保をとられたような生ではなく、魔法のような力で各自の内側に抑圧されてしまった時間を解放し、鮮やかな記憶を強化する政治的、美学的実験である」と、挑戦的な試みであることが記されている。

御嶽(ウタキ)の神女(ナナムイヌンマ)たち。
エントランスを入ってすぐの部屋には比嘉豊光の『ナナムイ』が展示されている。
宮古島・西原の御嶽(ウタキ)で祭祀を行う神女(ナナムイヌンマ)たちや、祭祀「ユークイ」をする女たちの写真が壁にかけられているが、それがほとんど見えない暗闇に、祭りの火がただゆらゆらと静かに燃えるさまが映像で映し出されている。
そして、「ユークイ」で女たちに歌われる歌声が、その場を占拠している。
作家は、美術としてでも人類学としてでもなくただ記録をとっただけだという。
しかし私たちは、この演出に、ヴォイド(何も存在しない空間)に突き落とされたようなショックと、暗闇に目が慣れるまでの浮ついた感じを経験することになる。
また比嘉は、沖縄の言葉で語られた、6時間にも及ぶ戦争体験の記録映像『しまくとぅば』も出展している。
戦中、しまくとぅば(島言葉)を禁じられたひとびとが、当時の状況を自らの本当の言葉で語り、ある人は「敗戦数え歌」に乗せて歌う。
(右)『Furious Pizza Box』
照屋勇賢
マクドナルドの紙袋の中に、美しい1本の木が、ホログラムのように三次元的に切り出されている『Notice-Forest』。
少し高いところに設置されているこれを、観客はハシゴに上って覗き見る。
袋の上部から切り出されているため、木の立つそこだけさっと光が降りてきたような清々しい景色を見ることができる。
照屋勇賢はこれまでも『Notice-Forest』シリーズで、マクドナルドやダンキン・ドーナツ、ポール・スミスなど、世界展開のファーストフード店や小売店の袋の中に、美しい木を作り出してきた。
木は、実際にあるものを写真に撮り、それをモデルに切り抜いていくという。
帝国主義とも重なるグローバリゼーションや大量消費、大きな力を象徴する外袋に、ちょっとした美を作り出し、見る人の心に波紋を広げる。
『Furious Pizza Box』は、2004年宜野湾市にある沖縄国際大学構内に、米軍のヘリコプターが墜落する事故が起きた際、宜野湾市長も、沖縄国際大学の学長も、沖縄県警さえも、米軍によって事故現場への立ち入りを禁じられたにもかかわらず、現場入りしている米軍兵士のために注文されたピザを届けにきた配達スタッフは現場内に招き入られたことが、沖縄県民の怒りを買った、というニューヨークタイムスの記事に端を発している。
事故現場の大学で、事故を報じるニューヨークタイムスの見出しを外側にプリントした配達ピザの箱へ、公募した子供たちに絵を描いてもらうイベントを開き、回収し作品したものである。
中身は他愛のない絵だ。子供が描いたらしい女の子の絵など、ありふれた生活や家庭が思い浮かぶような絵。
だがそうした日常に米軍はヘリコプターを落とし、市民や首長や大学を預かる学長や公安ですら締め出し、必要とあらばピザを取る。
あまりの行為に対する市民らの怒り、そして子供たちに未来を託そうという願いが聞こえてきそうな作品である。

チャン・ファジンは、1996年に取り壊された旧朝鮮総督府の正面図と、幾多もの立体レプリカを並べて展示している。
また壁には、ガラス戸の向こうに朝鮮総督府の正面図が、ブレてボヤけた姿で見えるように設えられた作品もある。
朝鮮総督府は、今までの朝鮮半島の王権より大日本帝国が強大であり、かしずくべき権力であることを示すため、まるで朝鮮王朝と世間の間に立ちはだかるような形で、景福宮の光化門と勤政門の間に建てられた。
1990年代後半は日帝残滓とされる建築物(私的な敵性家屋も含む)が多く撤去された時期だったが、日帝支配の最たる象徴である朝鮮総督府も、もちろんその流れからは逃れられなかった。
解放後50年も建っていたもの(しかも王宮よりも巨大な壁のような建物)であり、それまでその景色を眺めてきたひとびとにとってはそれなりの存在感があったろう。
しかし取り壊された後、急速に人々はその景色を忘れていく。
そして変わらないと思われていた歴史意識についても、おそらく知らない間にその姿を変えていくだろう。
その頼りなさを、不安とともにガラスの向こうでブレる朝鮮総督府像に反映させた作品群である。

チャ・ドヨンの『抱擁』は、ベトナム戦争に派兵されたものの戦隊から脱落してベトナムに残留し、難民としてニュージーランドに渡ったある韓国人男性のビデオレターを中心に構成された映像作品である。
派兵から30年が経ったころ、娘が幼少期にアメリカへ渡り、そこで今も暮らしていることを知った男性は、自分が死んでいなかったこと、何があったのかなどを語るビデオレターを送る。
しかしそこに親子としての愛が見られたり、感動の再会はない。
男性は、自分の人生には、派兵以前に普通の韓国人としての生活があったという証人を探したかっただけかもしれない。
ビデオの中で男性は淡々と語り、娘はアメリカの自宅でそれを淡々と見る。
戦争が砕いてしまったもの、二度とは戻らない関係、戻すことすら諦めてしまったように、大きく感情は動かさない人びとを、静かにとらえた作品だ。

アルメニア教会区域の色。
パク・ミナは、アクリルできっちりとカンバスを塗り分ける作品が多い作家だ。
この『Old city』は、エルサレムを描いたものだ。
エルサレムは、小さい地域ながらも複数の宗教の聖地として知られている。
エルサレムは宗教によって大きくアルメニア教会、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の4つの区域に分かれるが、作家はそれぞれの区域において街の色を15パターン採取し、4つのエルサレムの形をした絵に塗り分けた。
それぞれの色には、CMYKで色情報が加えられている。
建造物に使われている石材の色が肌色をしているため、4つとも大半がその色をしている。だがアルメニア教会区域は茶色、キリスト教区域はそれよりもう少し赤い茶色、ユダヤ教区域は青色、イスラム教区域は緑色が目立つという差異が見られる。
同じ形をしたエルサレムが描かれているのに、その多様性、あるいは分断が示されている。

記憶が正しければ、これを演じているのはポップアーティストのナンシー・ランである。
ホン・ソンミンの映像作品『眠れる森の美女』は、風邪薬「パンピリンF」のキャラクターとして30年間TVCMに出演していた少女「パンピリンガール」と、クマ(「ウルサ」という名がついており、これは熊肝が原料の肝臓薬の名でもある。またクマは朝鮮の古代神話「檀君神話」で朝鮮の始祖の母親として登場する、朝鮮民族にとっては親しみ深い動物)を題材に作った映像作品である。
物語は以下の通り。
ウルサに起こされる美女・パンピリンガール。
その口から大量の風邪薬を吐き出す。
パンピリンガールがその風邪薬を投げると、ベトナムの空を飛ぶ米軍機が次々と爆発する。
パンピリンガールは、チャイコフスキーの『眠りの森の美女』をBGMに、「ベトナム娘と結婚しなさい!」と叫ぶ。
戦争と潜在意識、風邪薬と肝臓薬(酒をたしなむ人には一緒に処方されたりする)、クマと檀君神話といった連想が続く、昨日見た夢のような、ファンタジックな映像作品である。
ホン・ソンミンは、近年同テーマに取り組んでいるようで、同じくパンピリンガールとクマをモチーフとした彫刻を2004年の釜山ビエンナーレに出展している。
写真資料を提供くださったトータル美術館に感謝いたします。
展覧会原題:후렴구: 발칸-오키나와-한국
2019.05.18.改変