

チャン・ヨンへ・へヴィー・インダストリーズ(張英惠重工業)は、1999年結成、チャン・ヨンへをCEOとする2人組のユニットで、もう1人のメンバーは米国人の詩人・マーク・ヴォージュ(Marc Voge)であることがすでに知られている。
テキストアニメーション映像作品を製作しており、結成年の1999年に韓国を代表するオルタナティブスペース・サムジースペース *1 の「オープンスタジオ」という公開型のレジデンスに参加、その名が広く知られるようになった。
2000年には第1回エルメスコリア賞を受賞、2002年には大阪の国立国際美術館で開催された『いま、話そう-日韓現代美術展-』に映像作品『ORIENT』を出展している。
すべての作品は彼らのホームページで公開されており、世界中どこからでもアクセスができる。彼らが「ネットアーティスト」と呼ばれる所以である。
自らに「重工業」という名をつけているが、非物質であり、世界中にデータを送れ、すぐに修正が効くというフットワークの軽いネットアートを逆説的にとらえてネーミングしたとのことである。
彼らの作品は、音楽に合わせて力強い見出しゴシック体の文字が大きく次々に映し出されるフラッシュアニメーションとなっている。その文字はマーク・ヴォージュによる詩で、アメリカの映画のセリフのようであったり、小説のようであったり、演劇のようであったりして、ややシニカルな物語が語られる。
テキストは音楽のスピードや内容に合わせて、登場人物のセリフごとに切り替わったり、文節ごとに切り替わったりする。

![FullSizeR[1].jpg](https://artseoul0.files.wordpress.com/2004/09/fullsizer1.jpg)
こうした意味で、彼らの作品はワードアートにもカテゴライズされるであろう。
ワードアートというカテゴリで見れば、ジェニー・ホルツァーは詩を電光掲示板やライトの投射によって人の目前に浮かび上がらせたし、イチハラヒロコは広告のコピーのようなテキストや川柳を保守的で印象の強いフォントで描き、その存在感を残した。
チャン・ヨンへ・へヴィー・インダストリーズは、音楽とそのリズムに合わせたアニメーションで物語を示している。
音楽はクールなジャズ系、コルトレーンのように非常にスピードのあるものも好んで使われているようだ(あまりに目まぐるしい作品もあるので、小さな子どもに見せるときは注意が必要かもしれない)。
そして必ず英文フォントはMacintosh付属の”Monaco”が用いられる。
今回の展示は『BUST DOWN THE DOOR!』、つまり「ドアを壊せ!」。
テンポの速いジャズに合わせて、英語と韓国語のバイリンガルで物語が始まる。
なお10からのカウントダウンと「張英恵重工業が紹介する○○(作品名が入る)」というスライドは、いつもお決まりのパターンである。



白地に黒い文字のみがめまぐるしく変わっていくスクリーンが10面設置されている。
1コマ1コマの間が一瞬暗くなり、会場内はひどく明滅する。
可読できるかどうかのギリギリの線。
脳と動体視力を総動員しなければならない。だが、疲れないし飽きない。
音楽と、そこに形式として存在する文字と、その意味が、一緒にパフォーマンスを行っているのを目撃しているようだ。
このようにテクストと音楽が交わる快楽を、独自の方法で示してくれている。


10面投影されているのは「with drum」編で、もうひとつ、”ほぼ” 同じ内容で「with streaming」編が1面展示されている。
ストリーミング編は、モノクロのストライプ上にテキストが乗る形で構成されており、たおやかな音楽に合わせるように、一定の時間ごとに、ゆっくりと上方へと消えていく。
物語のストリーミング編を翻訳してみると、こんな感じである。
- 僕が寝ている間に / お前たちはドアを壊して / 僕の部屋へなだれ込んできた
- 寝ている僕を / ベッドから引きずり放り出して
- 下着姿の僕を / 戸外へと追い出した
- 若干遅れて / 眠りを破られた隣人たちも / カーテンの後ろに隠れて
- ほっかむりをしながら窓から僕の姿を覗き見し / 僕の屈辱を吟味して
- 幾人かはこれ見よがしに / 僕を引きずっていく執行者に
- 首肯しながら調子を合わせ / 幾人かは陰湿な微笑を浮かべ
- 幾人かは窓を開け / ”裏切り者は殺せ” / と叫んだが
- 僕は裸足で / 腕を背に縛られた状態
- 僕のわき腹と胴を突く / お前たちの銃口に押されて歩き
- お前たちが吐いた痰唾が / 僕の顔を打ち伝い流れるが
- まったくおかしいよ
- 僕は爽やかな夜の戸外の空気の中を / くぐり歩きながら
- 少しずつ / 辺境のまた端の地へと近づき
- まもなくお前たちは / そこに僕をひざまづかせ
- 僕の頭に / 一発の銃弾をぶっ放すのだろうが
- まったくおかしいよ
- 本当に重要なんだよ
- 僕の命がかかるほど / 実に差し迫っているんだ
- 僕はお前たちが / 僕をベッドから引きずり出す前に
- 見ていた夢をどうしても覚えていなきゃならないのに
- 僕と恋人を撫でて散っていく / 夏の海風を感じながら
- 残光を帯びた / 青い海が見える / テラスの / テーブルに向かって座り
- 一杯やりながら / 聞いていた / 名状しがたい /恥ずかしいほどの
- ボサノヴァ
ドラム編では、上記の「僕」と「お前たち」という言葉が、「お前」と「われわれ」に入れ替わっている。
ストリーミング編は上記の通り「僕」が「お前たち」に拘束され処刑される前に夢に見た恋人との夏を思い出す物語だが、ドラム編は「われわれ」がその夢を記憶せねばならない「お前」を拘束し処刑する物語だ。
字面的にはほぼ同じ物語でも、主体と客体、しかも集団と個人が入れ替わっており、さらに音楽とリズムの速度でまるで違う作品になっている。

もうひとつ、この場所ならではの展示があった。
ロダンギャラリー *2 はサムソングループ傘下のサムソン文化財団が運営する美術館で、その名の由来は、入り口に常設されているロダンの『カレの市民』と『地獄の門』の公式レプリカによるものなのだが、その『地獄の門』に対峙するように『地獄の門(VICTORIAバージョン)』を設置した。
液晶画面つきのインターネット冷蔵庫(サムソン製品)をロダンの『地獄の門』とほぼ同じ大きさ(縦3台×横3台の9台)に積み上げ、その液晶に『BUST DOWN THE DOOR! GATES OF HELL-VICTORIA VERSION』の映像が流れるというもの。
ロダンギャラリーの『地獄の門』と対峙するように設置されている。
物語は『BUST DOWN THE DOOR!』のストリーミング編と “ほぼ” 同じだが、映像の色が紅白になっており、「お前たち」が「彼」になり、”VICTORIA”という名の女性が「私」として画面に示されるテキストと同時にこの物語を語る(英語のみ)。
このVICTORIAは、Macintoshユーザーなら聞き覚えのあるだろう、Macintoshのテキスト音声読み上げソフトが発する、コンピューター音声である(期間中、ロダンギャラリーのサイト、展覧会を案内する彼女のご挨拶が聞ける)。
家電製品によって家事の負担が軽減されたはずが、実は家事に費やされる労働時間は家電製品によっては短くなっていないという調査結果をもとに、家事従事者(その多くが女性)を地獄の門へと送り込む「彼」がVICTORIAによって語られるのである。
「女性に必要なのはこれだ」と(多くは男性によって)開発された家電製品が、実は家事従事者の地獄の門となっている、という挑戦的な皮肉である。
そしてそれは、家電製品だけでなく、インターネットでも起こりうることだということすらも含んでいる。
チャン・ヨンへ・ヘヴィー・インダストリーズは、これまでもサムソングループをテーマにした作品を作っている。サムソンへの愛を語る言葉で締めくくられるものの、ちょっとピリッとしたものを感じるのは気のせいか。
展覧会原題:BUST DOWN THE DOOR! 문을 부숴!
2018.09.24.改変
後注:
*1:サムジースペースは、衣料製造販売企業のサムジーが出資し1998〜2008年までの20年間活動した韓国の代表的オルタナティブスペースで、名だたる美術家やキュレーター、評論家を輩出した。2018年9月には、閉館10年を記念してその20年の歩みを振り返る回顧展『いまだ恐るべき子どもたち』展が敦義門博物館村で開催された。
*2:ロダンギャラリーはサムソン文化財団運営の下、1995年にサムソン生命ビルの1階に開館した、現代美術を専門に扱う美術館。2008年の休館を経て、2011年5月に”サムソン美術館 PLATEAU(プラトー)”に改名、その後2016年8月に運営を終了し、閉館した(跡地は外国人向けの高級ホテルになるとも言われている)。これでサムソン文化財団が運営する美術館はサムソン美術館リウム、湖巖美術館の2館となった。