チョン・ウニ『言葉のない目』合井地区 2020.1.10-2.6 / チョ・ヘジン『ひとえ blurry layer』保安旅館 2020.1.9-2.9

2020年2月初旬に見た小規模展示をふたつ。


チョン・ウニ『言葉のない目』合井地区 2020.1.10-2.6



チョン・ウニ(정은희、田銀姫)は東洋画科出身の画家で、本展を含め韓紙(朝鮮半島で作られる伝統紙)に現代的なモチーフと技法で絵を描いている。

本展では、普段が暮らしていた場所が、戦災や環境の変化と思われる何か不可避で市民たちの力では抵抗し得ないものに巻き込まれ、破壊され、傷つき、日常を送ることができず、動揺あるいは無力化していく人々を、やや離れた視点から描いた作品が並ぶ。

全体的に暗いトーンで、そこにいる者たちの顔はほぼ真っ黒に塗りつぶされて見えない。

地下スペースの展示。上:「言葉のない目」下:「Underground」すべて韓紙に彩色、2019


絵の「やや離れた視点」は、こうした傷つき恐怖の中にいる人々に対するわれわれ観客の視点をも暗示している。

われわれは毎日テレビやインターネットで、世界のどこかで戦争や内戦、大規模な事故などでささやかな日常を失う人々がいることを知っている。
しかしそのニュースに映る人たちの顔は、ニュースやドキュメンタリーを見終わったすぐ後に脳裏から消えてしまう。
おそらくそのうち、そのニュース自体も。

この黒い顔の見えない人物たちは、われわれが忘れてしまったそうした人々を比喩したものであろう。
そこに自分と同じように誰にも脅かされない暮らしを望み、自分と同じように傷つきたくない1人の人間がいることを思い出させると同時に、絵には具体的に何の事件かを示さず、そこに描かれた人間の個性を見せないことで、いつもの日常の続きで展示を見にきた観客が、これらの絵を見るまで頭の中に浮かんではいなかった、その誰かわからない人物らに感情移入できる仕掛けともなっている。

こうした視点は、作家の昨年の個展『観客者たち audience』(2019.3.2–3.24、永殷美術館[京畿道広州市])にも同様に見られる。
その展示の作家の言葉には、「人間がより良い世界を作るために、平等で、すべての多様性を認める社会を作るため努力する存在にならねばならず、”私”という存在が”あなた”でもあり得、”あなた”という存在が”私”という存在でもあり得るということに気付いてもらえれば」とある。

「空襲」韓紙に彩色、2019

展覧会原題:말 없는 눈 -있는 [합정지구]



チョ・ヘジン『ひとえ blurry layer』保安旅館 2020.1.9-2.9


保安旅館は、1936年に日本人が開業し、1942年に現在の建物が竣工(改築の際に昭和11年と書かれた梁が発見されている)した宿泊施設である。
李箱、李仲燮、具本雄など文人・画人をはじめ多くの人士がこの旅館を利用し、ここからソウルの街を闊歩しに出掛けた。

この建物は2004年に宿泊施設としての営業は終了し、書店やカフェ、ホテル、アートスペースを擁する隣接のビルとともに、複合文化施設「BOAN1942」として2010年再オープンした。

アートスペースとなった保安旅館であるが(なおアートスペースとしての利用は2010年のグランドオープン前から行われていた)、歴史的痕跡を観客に見せるために内装はほぼそのまま、2階に上がれば底が抜けそうな木造建築のままである(外装はコンクリート造)。

よくある床材を剥がして「チョ・ヘジン個展ひとえ」と薄く彫り、通りに面した窓に並べて立てかけている。

チョ・ヘジン(조혜진)は1980年生まれの作家で、上に紹介したチョン・ウニと同様に、年度は違えど永殷美術館でレジデンス制作を行っていた作家である(チョンは11期、チョは9期)。

解体される古い住宅などの建物とそこに流れた時間、過ごした人々の痕跡を、現地にあった廃材などを用いて作品とする作業を行ってきた。

今回もそのコンセプトで展示を構成しているが、展示スペース自体がすでに80年近く時間の堆積した歴史的建築である。
しかも官庁のような荘厳な建築ではなく市民たちのための建物であるがゆえに、経年変化が多く目につき、コンクリート外装とはいえ建物の雰囲気はかなり人間的だ。
こうした古く、人の気配がする建物に並べられることで、作家の作品はさらにその意味を強くする。

伝統的螺鈿細工の模様。花鳥風月と健康長寿のモチーフがところ狭しと散りばめられている。
これは庶民が使う中でもかなり上等で細微な細工が施された逸品だと思われる。


展示スペースには、実際に解体撤去される家から運び出されたタンスの扉や床の廃材が、螺鈿で彩られた作品が並んでいる。

螺鈿のタンスは長らく庶民にとって富の象徴であった。
特に高齢者だと、これが家にあることに憧れる者が一般的であった。
そうしたニーズ(つまり欲望)を満たすため、安価な螺鈿家具も多く作られるようになった。
90年代、あるいは2000年代ごろまでは、ある程度安定した生活を送る高齢者の家には、螺鈿の家具の1つや2つは備えられていたものだ(ドラマなどにもその演出はよく見られる)。

その庶民にとっての富の象徴が、このスペースでは解体され、再構成されている。

一般的な床材に施された螺鈿加工。庶民の家の中で、人とその人の財産を支え、守り、休ませるための床。人間はこれがないと生きていけない。その安定は、われわれが幸あれかしと思う暮らしの根っこにあり、長く付き合っていくものである。

友人らとピクニックにいったのだろう中高年の集合写真と、一般的な煉瓦造りのヴィラが並ぶ韓国の街角を合成したイメージを螺鈿で描いている。

富の象徴である螺鈿家具には、さらに長寿の象徴が細工として施されることが多い。
そして花鳥風月、豊穣の地。
自分たちの生活がそうであって欲しいと思ってその家具を使い、そして残していった小市民の守ってきた暮らしとはどうであったか。

それが再構成され、幽霊のように立ち上ってくる作品群は、スクラップビルドを繰り返す現代の都市生活で、今自らが立っているここの下に、いつかは何かがあり、別の人の暮らしがあったということも思い至らせてくれる。


展覧会原題:조혜진 개인전 《한겹》 Cho Hyejin solo exhibition_Blurry Layer [보안여관]

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