『消された顔たち』 オンス空間 2020.2.7-2.27

オンス空間は、2019年6月に運営を始めたばかりのスペースである。
オーナーである独立映画監督パク・ドンフン(박동훈)の両親が所有していた1969年築の洋館を、妻で建築デザイナーのチャ・ボミ(차보미)と改築し、文化スペースとしてオープンした(オンスという名前はパク氏の両親から一文字ずつ取られている)。
外部からの支援は得ず、運営もこの2人によってなされている。

都市生活者がより日常的で負担なく触れられる企画を行うスペースづくりを意図しており、文化支援の意味でスペース使用料を一般的な価格よりかなり低く抑えているという。
1階の一部はカフェになっており、その他の1〜3階までの空間が展示スペースとして活用されている。

本展の各作家の展示をつなぎ、観客が理解しやすくなる資料スペースその1。
南朝鮮労働党傘下のソウル市女性同盟の幹部の一斉検挙を伝える1949年10月5日付東亜日報、女性パルチザンの軍事訓練風景、南北朝鮮の関係が緊張状態にあるなかパルチザンとして活躍した女性5人のインタビューで構成されたチェ・キジャ(최지가)氏の漢陽大学校修士論文からの抜粋、李承晩大統領が婦女子の生活態度や言葉遣いに苦言を呈したことを伝える1954年11月17日東亜日報などが布に印刷され展示されている。



『消された顔たち』展は、企画イ・ウンス(이은수)、作家はジェーン・ジン・カイゼン(Jane Jin Kaisen)、キム・ドンニョン(김동령)、イ・ヨンジュ(이영주)、パク・ロンディ(박론디)による企画展で、日本からの解放後、これまで韓国が歩んだ不安定な過去の歴史の中で、男性よりさらに搾取的に役割を背負わされ、その存在が大きく歴史上取り上げられたり、讃えられたりしたことはなかった女性たちの物語である。

本展で取り上げられているのは、日本からの解放から朝鮮戦争勃発までの5年間に韓国で形成された女性による政治組織・労働組織へ参加した女性たち、そして朝鮮戦争後に米軍兵士相手に春を売り生計を立てた「洋公主(ヤンコンジュ 양공주)」と呼ばれる女性たちである。

1948年の大韓民国成立とともに女性にも参政権が与えられたものの、政治家としての、あるいは政治運動団体における女性の活躍とその評価についてはあまり目立たない(その多くが独立運動から解放を受け、その後北朝鮮を構成することになる共産主義運動へと主旨を変えていったことも一因)。
また洋公主は、ドルを稼ぐことで一般庶民よりも豪奢な生活を送ったために「公主(姫)」という妬みと侮蔑と憧れの入り混じった名で呼ばれた。
しかしこれは当時、なんの担保も持たない女性らが、自力で経済的にのし上がる方法は閉ざされていたために選んだ(選ばざるを得なかった)道でもある。

人間がその発言によって多くの人に影響を与えるには政治力や経済力(肉体的な力や学力、芸、容姿などいろいろあろうが)が必要となるが、そのどちらも女性が持つと「男まさり」「はしたない」と揶揄されてきたというのは韓国だけのことではあるまい。
家父長的社会を維持するには、いつでも女性の社会的言動はマスコミをはじめとする言論や人の口の端に上る噂によって晒され、批判され、抑圧されてきた。
それを本展では「女性運動家」と「洋公主」に投影している。


本展示の趣旨から、昨今の韓国で大きな機運となり、文化人も多く支持するフェミニズム運動との関連が想起される。
ただし韓国において社会の中の女性をめぐる作品や企画が出現し始めたのは最近というわけではない。ユン・ソンナム(윤석남)やキム・インスン(김인순)など1980年代に家族の中の女の苦難を描く形などでその萌芽を見せたフェミニズム美術は、1990〜2000年代のイ・ブル(이불)やチャン・ジア(장지아)、パク・ヨンスク(박영숙)、ソン・サンヒ(송상희)ら、そしてそれ以降の主に女性作家へと引き継がれている。
省谷美術館で開かれた「女性美術祭」のように、たびたび「女性美術展」「女性芸術祭」という名前の展覧会が開かれてきたが、現在は以前ほど「女性美術」という呼称は使われなくなってきた。

ジェーン・ジン・カイゼン「Parallax Conjuncture (the Fleron Archives)」2020
上の写真のアクリルケースにはケイト・フレロンによる以下のような記述が添えられている。
「”北側にある他のすべての共同墓地をはじめこの墓にも、北側に殺害された南側の人たちが埋葬されている可能性があります” であれば、墓前、われわれの横で絶望しているこの者たちは、犠牲者らの南側の家族ということだ。”いや、そうとも限りません。脅されたり雇われたりして、指示に従い絶望を演技しているという可能性もあります” ”しかも、あなたはこの者たちが何を言っているかわからない。通訳に頼らなければいけないでしょう。彼らはあなたを騙したのかも” そう、その可能性もある。彼らはまたどこか違う場所で死体を見つけ、この山すその斜面や辺りの山に埋葬するかもしれない。欺瞞の可能性は(カティンの森事件についての論争におけるように)すべての合理的な主張に非常に暗い影を落とすため、あなたの証言を認めてもらうためならあなた自身が死ななければならず、あなたは殺された者の1人になり、その塹壕に横たわらなければならないーそしてやもすればそれでも不十分だろう。なぜなら人の記憶というのは頼りないものだから。殺害されるその混乱した瞬間に、あなたは軍服を見間違えやすくもなるであろうから…… -K.F. 1952」
下の写真のアクリルケースには、2015年に北朝鮮を訪問し写真を撮影した作家自身の言葉が添えられている。
「それはどう見えるのか? あなたは監視され続けていたのか? 通りで軍隊が行進するのを見たのか? それを撮影することができたのか? 北朝鮮についてのよくある想起をどのように乗り切ることができようか。無数のクリシェを強化するその罠をどうやって? その国では見せられるものとそうでないものがはっきり分けられることをわかっていながら。北朝鮮に対する執拗で偏狭な認識は崩しがたく構築され、冷戦時代の分裂から現在まで続いている。そこから離れ理解しようとする試みをすべて挫折させるあの認識を、どうやって乗り越えようか? 赤いフィルターはあの国-地球上で最も孤立し憎まれ嘲笑されている、こんにちの世界の秩序から排除され不平等に耐えている-について多様な視線をもつことを妨げる。私はどんな写真も撮ることができず戸惑った。しかしイメージの不在はすでに植民の結果だ。これはNASAの人工衛星から撮った北朝鮮の夜だ。隣国とは異なり、そこは根本的に非可視だ。あるいはインターネットでキャプションに書かれているように、”あなたは宇宙においても共産主義を見ることができる”-虚無として。 -J.J.K 2016」

話を本展に戻す。
ジェーン・ジン・カイゼンの作品は、真っ暗な部屋で、アクリルボックスに入れられた韓国、デンマーク、アメリカで集めたアンティークグッズを、赤い照明が照らすインスタレーションである。
アクリルの壁面には英語で文字が刻まれている。

この作品の元となったのは、朝鮮戦争中の1951年、戦禍の中で朝鮮半島の人々がどれほどの艱難を強いられているか調査し国連に報告するため、国際民主婦人連盟(本展のキャプションには韓国語で世界民主女性同盟とあるが、作家による英語のキャプションには”The commission Women’s International Democratic Federation”とあるためおそらく誤表記かと思う)から派遣されたデンマークの写真家ケイト・フレロン(Kate Fleron Jacobsen、ドイツ占領下のデンマークではレジスタンスとして活動した)による手記である。
この調査では、韓国側からは敵性思想として排除され北朝鮮側についていた朝鮮民主女性同盟が大きく貢献した。また北朝鮮側の民衆、特に女性の被害を写真、統計、口述記録の形で、西側諸国によって過小報告されていた市民たちの被害について国連に報告することができたという。
フレロンはその後『Fra Nord Korea (From North Korea)』という著書を出版しており、彼女が残した当時の写真には、朝鮮民主女性同盟の面々も写っている。

作家は、済州島出身のデンマーク人である。自らのルーツである韓国、済州島の女性をとらえた作品を多く手がけている。2016年にはサムソンリウム美術館が主催する若手作家支援プログラム「ARTSPECTRUM」作家に選出され、2019年には、ビデオインスタレーション「離別の共同体」でヴェネツィアビエンナーレ韓国館に参加した。
作家のルーツである済州島は、1948年から数年にわたり、共産主義者と見られる島民らが韓国軍によって虐殺される四・三事件が起こった場所である。
自らが持つ属性や主義、いる場所によって、否応なく強大な力に迫害され抑圧される人々に対する慰労や想いが強いのだろう。
2015年5月にノーベル平和賞受賞者、人権弁護士、フェミニスト、平和活動家、映画製作者らからなる国際訪問団と共に北朝鮮に訪問しており、2016年の「ARTSPECTRUM」展では、その時に自分が撮影したモノクロ写真とフレロンの写真とを今回の展示と同じく赤くライティングされるアクリルの枠に封入した作品「PERTURES | SPECTERS | RIFTS」を展示している。

今回の展示も「PERTURES | SPECTERS | RIFTS」に準じたもので、1つのアクリルボックスにはフレロンの、もうひとつにはカイゼンの手記が刻まれている。

キム・ドンニョン「夜のお客」2020

キム・ドンニョンは『不思議の国のアリス』(2006)、『American Alley』(2008)、『蜘蛛の地』(2012)、『妊娠した木とおばけ』(2019)など、「基地村」といわれる韓国内の米軍基地周辺に形成される基地依存集落とそこに住む女性たちを題材に、ドキュメンタリー映像を撮ってきた作家である。
基地村が形成されたのは1945年の米軍進駐後で、当時韓国は貧しく、政府からもアメリカドル獲得は推奨された。
米軍基地の周りには自然に兵士向けの飲み屋やクラブ、売春宿もできていき(こうした場所はだいたい韓国人客入店禁止となっている)、その店員と米軍兵士の間に多くの子が生まれた。

本展に出された「夜のお客」は、基地村で暮らすパク・インスンという女性と、アン・ソンジャというアメリカ人とのミックスとして生まれた女性が出演する短編である。
奥の大きなスクリーンにはパク・インスンの日常(ベビーカーに積んだ再生ゴミをひたすら片付けている)が映る一方で、手前は空想を交えたファンタジーとなっている。
常に派手な毛糸で編み物をしているパク・インスンは、夜眠れなくなると派手な化粧をし、花柄のひらひらしたワンピースを着て基地村の中を徘徊する。
アン・ソンジャ演じる死神のような格好の、黒人と黄色人種のミックスであろう風貌の女性も通りに現れるが、パク・インスンは一心不乱に編み物をしながら歩き、死神に出会わずにすむ。

場面が変わり、パク・インスンが誰かに電話をかけている。
相手は英語だ。愛情を伝える言葉から、アメリカにいる子だということがわかる。
パク・インスンにはあまり多くの英語がわからぬようだ。時に韓国語で話しかけ、子の声にすすり泣く。
米軍兵士と基地村で出会い、妊娠し、子を産むも、1人韓国に残らねばならなかったのだろうパク・インスンの人生が浮かんでくる。
再生ゴミの運搬に使っているベビーカーも切なく見える。
(なおこの子と元夫を探し当てたのは作家とのこと)

手前のファンタジーはおそらくパク・インスンの夢なのであろう。
年老いて、死の影が迫ることへの恐怖。あるいは過去のトラウマ、子への愛慕と後悔、長い苦労を補ってはくれない生活。それを、編み物と編んだストールが守ってくれる。

目覚めると、また再生ゴミを拾う日々が待っている。
深い傷を負った人間の現実と内面、そして基地村という問題を同時に見せてくれる。

本展の各作家の展示をつなぎ、観客が理解しやすくなる資料スペースその2。
キム・ジョンジャ(김정자)の著書『米軍慰安婦基地村の隠された真実』やMBCの特集番組「今こそ話せる」61回「性の同盟 基地村浄化運動」から群山の基地村「アメリカンタウン」の経営者やそこで働いていた女性(売春婦はドルを稼ぎ経済的に国を生かす愛国者と元気付けられた、と証言している)など多くの証言を展示し、基地村が米韓同盟の中から政治的に生まれたものであると示している。

イ・ヨンジュ「黒い目」(2019)

イ・ヨンジュは「黒い目」と「誰がために彼らは」の2作品で、朝鮮戦争以後における韓国女性の苦難と変遷を描く。
そのうち「黒い目」は板で作った人形劇のような動きで登場人物が動くアニメーションで、童話的ではあるが不安な色で描かれている。
冷戦による水爆実験が繰り返される世界、死の灰を浴びないために透明のフェイスマスクをかぶって遊ぶ少女たち。その少女たちに宇宙飛行士の格好をしたポスター(”WE NEED YOU”と書かれている)からアメリカドルが差し出され、それを少女たちは追って駆け出す。
これも基地村やアメリカ依存でしか生きていけなかった韓国、そして女性たちを隠喩的に描いているのであろう。

作家は自分の顔をアニメーションに書き入れてややコミカルに女性の持つフラストレーションなどを描く作品などを作っている。弘益大学校絵画科卒業後、ドイツのシュテーデル美術学校で映像を、アメリカのエール大学彫塑科で修士学位を受けている。その後アメリカやドイツ、ソウルで多くの個展やグループ展に参加している。

パク・ロンディは奇妙な模様がパッチワークされたテントの中に棚を置き、その中にあるおみくじを客に引かせる、アクションを観客に求める作品「こんにちは、誰かいますか?」を出展している。
この模様はオンス空間によると「基地村の女性たちの人生と、彼女らが社会と結んだ関係を視覚化」したものとのこと。
入り口の布をくぐると資料入れのような3段の引き出し付きの棚があり、その上には以下のように注意書きがなされている。

1 気に入った銀色の棒を引いてください
2 棒の先に刻まれている名前を確認し、キャビネットを開けてください。
3 中にある札を引いて読んだ後、持ち帰ってください。

この作品の目的は「基地村の女性たちの発言と社会が向き合う」ことだそうである。
私が引いたのはMs. PAKの以下のような言葉だった。
「どこに行っても、私を虐待するように放っておきませんでした。他の女たちの話を聞く時、私はこう言ったんですよ。”なんであんたにそうさせたの? これこれしなきゃだめだったじゃない” 印象だけでもどんな人たちだかわかるでしょ?」

展覧会原題:지워진 얼굴들

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