ドン・ソンピル『喫態店』 Arario Museum Undergroud in space 2019.02.20-06.13

『喫態店』メインスペース全景。



ドン・ソンピル(b.1984)はレディメイド、特にフィギュアを素材に作品を制作する作家で、かつ代案空間(2000〜2010年代に韓国美術界を席巻したオルタナティブスペース)に代わるオルタナティブムーブメント「新生空間」の白眉とも言われる「半地下」(B1/2F、運営期間2012〜2017年)の共同運営者でもある。
最近では『2019 PACK : 冒険! ダブルクロス』(脱領域郵政局におけるグループ展、2019年)『フィギュアtable』(趣味家におけるトークイベント、2017年)、『空っぽの顔のための研究』(同、2018年)、『METAL EXP : ぼっちの動く時間』(趣味家における個展、2018年)『ミンメイアタック:Re-Re-Cast』(視聴閣における個展、2016)などに参画し、2020年はソウル市立美術館蘭芝レジデンシーに入居が決定している。

視聴閣における『ミンメイアタック』展のPR映像を見ると、アニメとその周辺文化の影響が色濃く作家の中にあることがうかがえる(蛇足ながら、ミンメイは『超時空要塞マクロス』のヒロイン)。


『ミンメイアタック:Re-Re-Cast』PR動画(2016)



「喫態店」は漢字で表記されているが、ハングルでは「끽태점(キッテジョム)」と書き、アルファベットでは「kitsutaiten」と日本語読みを付している。
「形”態”を”喫”することができる”店”」という意味であり、そこからもう日本製フィギュアとそれを成すキャラクターが本展の素地にあることを察することができる。

作家の10代はサプライズでプレゼントされたプレイステーションのプレイに明け暮れ、そうしている間にゲーム雑誌の特集を見て心惹かれたことから始まったフィギュア収集に20代を費やした。

そして30代になった現在、そのフィギュアに疑問を抱くことになる。
「この、そこにあるという以外に何の機能もない、無用の長物はなぜ存在するのか?」
(リンク先はドン・ソンピルによる重厚なフィギュア論である)

作家が収集したフィギュアに混じって、フィギュアを型取りした樹脂から作られた作家の創作物が混ざる。
フィギュアの複製、コラージュ、拡張。その境界線が曖昧なまま、見るわれわれは飲み込まざるを得なくなる。



フィギュア×現代美術となると、日本だとすぐ思い出されるのが美術作家・金氏徹平であろう(あるいはもっとポピュラーな話をすると村上隆かもしれない)。
本展の作品の造形だけ見るとさらにその印象は強まるが、金氏の作品、たとえばフィギュアの(1パーツとして脱着可能な)髪部分を集合させた彫刻においては、どちらかというと「コラージュ」とか「変動性」にその礎があるといえよう。

一方でドン・ソンピルは、フィギュアを「高度な技術と膨大な資本を投じて生まれておきながら明確な用途がまったくない」と断じ、しかし市場と収集マニアとその人生を生み出しているこれはなんであるかという問いを起点として、「フィギュア」「キャラ」「アニメ」に重点を置きつつ、その熱量をトーク、テキスト(『フィギュアTEXT』:YOURMIND刊、『フィギュアTEXT : Wonder Festival Report』Kittaiten刊)、そして本展をはじめとする立体作品に昇華している。
おそらくそれは、それに若い熱量と時間を投じたのはなんだったのかという自問に通じる。

「キャラ」という価値そのものしかないもの、そして「フィギュア」というキャラを基盤としておきながら消費あるいは私物化される質量を持った物体という以外に何のやり場もないものの対比と論考が見える展示である。

「キャラは記号であり、誰もが自分が置き換わったように感情移入できるよう特別な顔を持っていない(それゆえコスプレが隆盛する)」という作家の「キャラ」論が表出しているように思われる作品。
顔が潰され腕がもがれたギリシャ胸像のようなフィギュアをコピーしたこの樹脂の塊は、この水色に染めることによって綾波レイであることが即判明し、キャラクターとして生きる(フィギュアの素地はSEGAから発売された原型師あげたゆきをによる弐.伍分ノ壱胸像シリーズ「笑顔のレイ」を樹脂で再度型取りしたもの)。
あるいは彩色しないことで、物語やキャラクターは一見無意味化する。


なお現代の韓国においてアニメ・マンガマニアの存在は珍しくない。
日本の「オタク」とまったく同じ意味を持つ「オトク(오턱후)/トク(턱후)」という言葉もすでに市民権を得て久しい。
無論それ以前にも日本のアニメや漫画は(日本文化の流通が制限されていた時代においても)韓国国民に日本のアニメは親しまれていたのだが、現在は日本のオタクがそうであるように、個人的体験や個人的消費という観点で浸透と考察が進んでいる。

「デバッキングステーション (6/1 Scale)」2019:フィギュア、木、スプレーによる彩色、レジン、ウレタン樹脂、紙箱、工業製品 145x50x60cm, 70x44x44cm
「NEXT back door」2019:レジン、スプレーによる彩色、アクリル 55x40x35cm, 65x50x45cm
もっとも奥にある向かい合った人間の頭部は、2018年のトーク『空っぽの顔のための研究』のメインイメージとなった作品。これもアニメのキャラクターには「個体としての顔がない」という作家の論に基づく。
「デバッキングステーション」2019
フィギュアとともに作られた箱庭としての(新世紀エヴァンゲリヲンを想定しているであろう)都市。
象徴的な事件はこうした集合住宅や学校といった建造物を背景に起こる。
パニックに陥る人々、その運命が委ねられた神の手としてのコントローラー(あるいは作家自身)、ガンダムのザク色に染められた世界観(単色で染められた世界は元の物語から離れた印象を見る者に与える)、こうした世界観を織りなす「商品」を包み現実として安全にお届けした梱包材が周囲を埋め尽くす。



作家の言によると、『喫態店』という展示タイトルは、日本でレトロな喫茶店を見た時に思いついたという(※キムグミョン. [注目作家 – ドン・ソンピル] ミュージアムに放たれたフィギュア探求レポート アラリオミュージアムインスペースにて個展‘喫態店’ cnbnews 第630号 ⁄ 2019.02.27)。
今や日本の現実が、アニメを消費してきた日本の日常の中にいない人物にとっては懐古主義的な機能を持つひとつのエピソードとも捉えることができるだろうが、いずれにしろ、彼は日本のサブカルチャー的なものをこれまでのプロジェクトや思考に取り入れてきた。

たとえば、彼が新生空間「半地下(B1/2F)」のメンバーとして共同参画した、作家自ら手がけた小品(「グッズ」と称する)を直接観客に販売するプロジェクト『PACK』『趣味観』(後者は半地下を後継する新生空間である趣味家が管轄)では、東京・中野にあるマンガ専門の古書店およびプレミアアニメグッズ販売店まんだらけと同じように、それらの「グッズ」が同様の規格性があるガラスのショーケースに作品を入れてスペース内に陳列・販売された(紺野優希. なぜ「新しく生まれる」のか?-「新生空間」が韓国若手アーティストにもたらしたもの. STUDIO VOICE, 東京: INFASパブリケーションズ, 2019;415:96-101.)。
本展のメインスペースにおける作品提示の仕方も、同じくガラスケース方式である。
PACKの様式が誰の発案であったかということがうかがい知れ、かつフィギュアと「グッズ」の近似性を表していることがわかる。


これはこうしたフィギュア群の露出方法が、パブリックな場でもあり、マニアックな収集家の私的空間でもありうることを読み取らせる。
そしてフィギュアにみる芸術性と非芸術性という曖昧さもまた、一緒に感じることができる。

『デコイ』フィギュア、木、スプレーによるペイント、レジン、ウレタン樹脂、工業製品 170x41x55cm 2019
デコイは敵や獲物を欺瞞するための仕掛け、つまりおとりである。
「デコイ」2019 細部
「My Vigor」2012 フィギュア、木、スプレーによる彩色、アクリル 17x40x30cm
作家の初期作品。ハリーポッターの登場人物を模したフィギュアが、SNSのコミュニケーションで日常的に用いられる「顔文字」を眺めている。
「マンガの肉」を思わせる造形、その側に添えられた、まさに「マンガの肉」のフィギュア。
フィギュアは非現実を表出したものながら、金色の「マンガの肉」的なものの前では「正当」「現実」となる。

・・・・



ところで本展の会場となったアラリオミュージアムだが、元々は韓国現代建築の巨匠・金壽根が経営していた株式会社空間の本社ビルである(これ自体も韓国現代建築として非常に名のしれたものである)。
これを、アラリオ名義で美術館やギャラリー業を行う企業のオーナー(ソウルより南方の地方都市・天安で百貨店業などを展開する事業家が現代美術に目覚めたことから始まった)が買い取り運営している。

今回ドン・ソンピルが個展を開催したARARIO MUSEUM Underground in space(その名のとおり地下に位置する)では若手作家を中心とした企画展が行われているが、それ以外はオーナーの収集した美術品が展示されたコレクション展となっている。
世界中から錚々たる作家の作品が集められているが、大部分があまり入れ替えのないコレクション展示であるのに、その建物の価値、維持、作品の管理などから算出されたであろう入場料15000ウォンは、なかなか企画展を見るために何度も訪問したい観客や若者には二の足を踏む値段設定である。

大挙して観客が来ないための対策でもあろうが、不自由さを感じるのは、自分だけではあるまい。


展覧会原題:끽태점 (Kitsutaiten)

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