

毎年1人のアーティストを選定し、国立現代美術館ソウル館の一角で新作を含めた個展を開催する「MMCA 現代自動車シリーズ」。2019年はパク・チャンギョン(박찬경/朴贊景)が選ばれた。
なお本シリーズは2014年のイ・ブル(이불)から始まったものであり、2015年はアン・ギュチョル(안규철)、2016年はキム・スージャ(김수자)、2017年イム・フンスン(임흥순)、2018年チェ・ジョンファ(최정화)が選定され、2020年はヤン・へギュ(양혜규)の予定となっており、60年代生まれの国内外ですでに評価が定着している作家らで構成されている。
パク・チャンギョンはメディアアーティスト、評論家、映画監督とマルチに活躍する美術家であり、作品としては北朝鮮を扱った映像作品(『飛行』2004年)、無形文化財に選ばれた巫堂キム・グムァ(김금화)を中心に巫俗を扱ったドキュメンタリー(『萬神』2013年)などを製作したほか、2014年のメディアシティソウル(主題:幽霊・スパイ・おばあさん)の総合芸術監督を務めた。
巫堂という朝鮮半島独特の民俗として今も存在するあの世この世を越境する交信者、スパイというだけで38度線を越境する者を想像させるという北朝鮮を見つめる目、時を越境してストーリーテラーとなるおばあさん。このメディアシティソウルの主題は、まさしくパク・チャンギョンの作品につきまとうテーマといって差し支えないだろう。
日本では2019年のあいちトリエンナーレで母親による北朝鮮兵目撃談に着想を得た映像作品『少年兵』を出品したものの、いわゆる表現の不自由展騒動が生じ、「国家・行政による検閲である」としてイム・ミヌク(임민욱)とともに展示を撤回したことでも記憶している人が多いかもしれない(表現の不自由展の限定的再公開が決定後、2人の展示も再開)。
2004年のエルメスコリア賞、ベルリン国際映画祭のショートフィルム部門金熊賞受賞など、国内外で活躍する作家である(なお兄は映画監督のパク・チャヌク)。


写真上:ニューヨークメトロポリタン美術館所蔵の作家未詳『竹の椅子にて眠る人』元〜明時代ごろ、絹に水墨彩色。横にはパク・ジウォン(박지원、朴趾源)の『熱河日記』(1780年、キム・ヒョルジョ訳・トルベゲ社刊)の一節が鉛筆で壁に書かれている。「今、天主堂内の壁と天井に描かれている雲霧と複数の人物像は、普通の人間の知恵や考えでは推し量れるものではなく、言語や文字でも形容できるものではない/私が目で絵の人物を見ようとすれば、稲妻のようにぴかぴかと光が私の目を他に外らせた。絵の中の彼らが私の心を悠々と見抜いているようで嫌だった。私が耳で聞こうとすれば、先に私の耳に囁こうとするように見下ろしたり見上げてきたりした。私は彼らが私の隠そうとするものを悠々と見抜いているようで恥ずかしかった。私が口で語ろうとすれば、彼らは深く沈黙したと思ったら突然雷鳴霹靂を発するようであった」
写真下:『第2回朝鮮美術展覧会』に集まって絵画を見る良家の女学生ら(1923年、ソウル歴史博物館蔵)の写真と『朝鮮民族美術展覧会』展示室内の柳宗悦を写した写真が並べられている。写真横の解説には「韓服をきた学生たちが19世紀ヨーロッパのサロンのように展示された絵を”見上げて”いる。日本の美術史家柳宗悦は、実際に朝鮮人には生活用品であったものを”民芸品”と”格上げして呼び”、これを美術作品のようにディスプレイした。植民地人が帝国文化を羨望する時、帝国の知識人は植民地文化を讃美した/”西洋人は、日本が平和な文芸にふけっていた間は、野蛮国と見なしていたものである。しかるに満州の戦場に大々的殺戮を行い始めてから文明国と呼んでいる”(岡倉天心『茶の本』チョン・チョング訳)」とある(なお『茶の本』は岡倉覚三名義の著作)。
本展は「韓国美術史」と「災難」という2つの大きなテーマを持っている。
日本の現代アートが東日本大震災後に「アートに何ができるのか」という問いを突きつけられたように、災害はその足元を形作るインフラや近現代の仕組みそのものが再検討を要求される。
韓国でも「セウォル号事故以後」と言われるように、社会の仕組み、文化のあり方に対する思想や見え方が大きく変わるという経験をしている。「海」「客船」「黄色」がまったく違う意味をもってしまった。当然これまで見慣れた作品ですら、今生きる人には違うイメージを想起させるようになる。
こうした「これまでとは違う感覚でものが見える」「ということはわれわれが見ていたものの解釈と、当時の人々と、今後の人が見る解釈が違う可能性がある」「今までを疑ってみる必要がある」という視点のもと、作家は伝統的な釈迦涅槃像を再解釈するということを本展で試みている。

『集い』は作家が韓国国内の仏教寺院を巡り、壁(寺院や宮殿など伝統的な大型建築に多く使われている丹青という薄いエメラルドグリーンに塗られている)などに描かれた涅槃図のうち釈迦の入寂を嘆き悲しむ動物の顔を大きくトリミングして撮影し、それを1つ1つ額縁にはめ込んで、四方の壁にぐるりと取り囲むように設置している。釈迦の入寂を嘆く姿は涙の粒を描くなど漫画のような表現方法が採られているため、恐らく近年の補修で描き変えられ、昔の表現は失われたものと思われる(国宝一号である南大門の火災の後もそのような補修がなされており、伝統的な描画技法が失われていることが推察される)。ほぼその真ん中に『跣足』があり、釈迦の臨終に遅れた弟子・摩訶迦葉に、釈迦の裸の足が金の棺から差し出された故事(槨示双趺)が、簡単な機械で再現されている。
展示は『小さな展覧会』という、壁にまるで夏休みの自由研究が張り出されるように複製の資料とそれに付けられたキャプション群によって始まる。
元〜明時代の水墨画と、それに付された『熱河日記』(乾隆帝70歳祝賀の赴京使に随行した実学家・思想家である朴趾源による中国訪問記)の一節、日本統治下における朝鮮の美術、その下に生まれたイ・ウンノについての記述へと続く壁が回廊のようになっており、キム・ボム(김범)の有名な美術品を雑に模した作品や、ここ現美ソウル館の前身・国軍機務司令部(機務司、国軍の情報機関)の内部を写したペク・スンウ(백승우)の写真(2011)など、総22点の資料と1点の油画作品で構成されている。
壁にはたまに窓が開けられたり、一方の壁に屏風が設置されていたりして密閉された感じはない。
国立現代美術館が同時開催している、実質的な韓国現代美術史展である『広場』展と現代美術館を意識し、作家の主観的な朝鮮近現代美術史を一筋描いてみたのではないかと思わせる。
展覧会概要が書かれた文章には、この『小さな美術館』は本展の”額縁”の役割を果たす、とある。
「作品は、われわれがすでに見知っている美術史と美術館は、人為的に注入された形式に過ぎないのではないか、という問題意識から始まった。美術の制度に対する作家の批判と省察は、”災難以後”という主題のもと、福島原発事故と釈迦牟尼の涅槃などの他の作品へと続いていく」
大きな映像ブース2つのうち、一方ではスライド作品『福島、オートラジオグラフィ』と『セット』が投射されており、日本と韓国が今も抱え続ける災難の一幕を見せてくれる。

映像作家の加賀谷雅道と東京大学名誉教授森敏による、放射線汚染をオートラジオグラフィーで視覚化に記録するプロジェクト「放射線像」からイメージを借用し、パク・チャンギョンが帰還困難区域となった福島県浪江町を撮影したスライドと交互に映し出される。パクが写すのは、ひとけがないながらも、新芽は吹き、花が咲き乱れる街の風景である。加賀谷は、目に映らず写真にも残らない残留放射線の画像的観察が可能な写真を提示する。
本展唯一の旧作。映画『JSA』の映画セットと、陸軍の市街戦訓練場を写したスライド群で構成されている。南北分断とそれにともなう戦争状態も韓国がいまだ抜け出せていない災難のひとつ。
もっとも広いスペースには、韓屋の廃材で作ったベンチ2つとセメントで描写した水面が16種類ならぶ作品『海印』が据えられている。
先に紹介した『跣足』、『海印』の向こうに見える映像ブース入り口の両脇に据えられた『柱聯』、そしてブース内で毎時0分から上映されている55分の映像作品『遅れてきた菩薩』と、多くの作品が仏教モチーフを借りて制作されている。


海印とは、澄み渡った静寂の海が世界を映すように、万物を瞑想し悟りを開くことを指す。セメントで作られた16枚の板の表面には、波紋が表現されている。これはパク・イソ(박이소)がセメントで小舟を作った『無題』に着想を得たという(写真下、『小さな美術館』より)。韓屋の廃材で作られたベンチの向こうでは、この展示が行われているソウル館が、かつては多くのスパイと疑われる人々(無辜の人々も含まれる)を摘発・取り調べした機務司であったため、開館を前に無形文化財の巫堂・キム・グムァ(김금화、2019年2月没)が場を清めるための巫儀(クッ)を行う映像が映されている。

ここ国立現代美術館ソウル館の建物は前身が機務司、その前は日帝時代に設立された官立京城醫學專門學校であった。その当時から現在も使われている向かって左側は角柱、右側は円柱となっている正門の柱を模し、寺院などによくある対の細長い書画の板(聯)を柱に掲げた柱聯となるようにブース入口を象っている。右側の柱にはソウルの津寬寺(진관사)の柱聯にある「慧眼觀是地獄空」という千手経の言葉が書かれ、その横に「智慧の眼で見れば地獄は空(くう)となる」と意味が解読されている。また左側の柱には、シェイクスピアの戯曲『テンペスト』のセリフ「Hell is empty, and all the devils are here.(地獄は空っぽ、総ての悪魔はここに在り)」が英語と韓国語で書かれており、この世に対する絶望感と、それから救われる世の捉え方が一対となっている。


本展の総括と言える映像作品。「釈迦牟尼の愛弟子迦葉は、涅槃を見れることなく遅れて到着した/すでに涅槃に入った釈迦牟尼は迦葉に両足を(棺から)突き出し見せた/そうして釈迦牟尼の棺に火が放たれ、荼毘に付すことができたという」という槨示双趺を示す文句から始まる本作は、冒頭に現れる『双林涅槃相図』(東国寺 동국사 所蔵。朝鮮最古の横型仏画と言われる。日本の美術オークションに出されているところを発見され、2013年に韓国に返還された)以外はモノクロで、そのほとんどの色調が反転している。これは『福島、オートラジオグラフィ』の加賀谷による「見えないものの見える化」を図った写真に強く影響されたものと思われる。タイトルの後、「死なない鳥/もっとも古い高速増殖炉であるフランスの”スーパーフェニックス”は、エジプト神話に登場する不死鳥の名前を冠したものだ/ラジウム226の半減期は1600年、高レベル核廃棄物の場合は約30万年、ウラニウム238の半減期は45億年である」とテロップが示される。広い海。その表面を滑る巨大な貨物船に乗せられてきた大量のコンテナのうちのひとつが山へと運ばれていく。一方である女性(菩薩)が登山の服装で山へと向かう。コンテナは山の中腹に重機で置かれる。また一方で他の若い女性が防護服を着、山中のさまざまな場所、寺刹などで放射能を計測して歩く。一方で若者たちが山水画や彫刻を制作している。日本の原子力発電所の写真が挿入され、もんじゅとふげん、どちらも仏の名であることが文字で説明される。また1974年にインドが行なった核実験のコードネームが「微笑むブッダ」であることも説明される。放射能を計測していた女性がもっとも先にコンテナに到着する。他の面々も到着するが、登山姿の女性が遅れて到着する。コンテナ内全面に山水画が貼られ、外には彫刻の沙羅双樹が置かれている。全員で棺を担ぎ上げて回すと棺の板が外れ、遅れた女性に中の足が示される。そうしてコンテナ内の棺は猛烈な炎で焼かれ、荼毘に付される。最後に「オートラジオグラフィ、福島2012〜現在 写真の白い部分は放射能汚染を示す」とテロップが浮かび上がり、映画は終わる。
展示の最後を飾るのは『第五展示室』である。
この一角は、機務司であった建物を国立現代美術館ソウル館へと改築する過程、特に基礎工事の部分が記録された映像が流されている。
国軍の情報機関であったこの建物は、政治犯の監禁や拷問も行われていたため、一度連行されたら最後だという意味も込め、「あの建物の地下はどれだけ深いかわからない」という噂が立った。
作家が作った建築模型は、地下に向かう階段がつけられている。
この展示室のある場所は美術館のもっとも深い場所であるにもかかわらず(そしてそれは基礎工事を記録している映像からも明らかであるにもかかわらず)その噂を改めて象徴するように、床についた階段がその先にも続いているような想像をさせる。
黒く塗られた壁にはチンとケンガリ(巫堂がクッで用いる金属の打楽器。ケンガリの方が小さく手も持ちにできる)が北斗七星の形で象られて何かまじないあるいは吉兆を感じさせ(『七星』)、その脇にはベルトルト・ブレヒトの「どのようにすれば、精神的な麻薬取引を脱し、幻想の場を実体験の場にすることができるのか?(How can it be drawn away from this intellectual narcotics-traffic and be changed from a place of illusion to a place of practical experience?)」という問いが示されている。

展覧会原題:MMCA 현대차 시리즈 2019: 박찬경 – 모임 Gathering