『INSIDE OUT』 壽昌青春マンション 2019.7.3-9.29

壽昌青春マンション。建物は40年の歴史がそのままにされている

大邱の芸術複合施設として2008年10月に生まれた「大邱芸術発電所」の向かいに立つ壽昌青春マンション
もともとは1976年に竣工したKT&G煙草製造廳の社宅だった建物(1996年に閉鎖されてから20年放置されていた)をリノベーションし、若い作家育成と市民の文化交流のために2017年12月に「壽昌青春マンション」としてオープンした。

名称についている「壽昌」とは施設の位置する地名で、1910年、大日本帝国に併合された年に、煙草製造工場(大邱専売局)が設立されている。
なおその前は大雨が降れば浸水するような土地だったため、盛り土が多く行われた。その工事を行う日本人人夫たちのために、周辺に風俗街ができあがったという。
解放後、工場と社宅を含むその関連施設は韓国煙草人参公社所有となり、KT&Gへの改編にともなう所有者変更を経て今に至る(工場は大邱芸術発電所になった)。
風俗街は売春禁止法施行以降も根強く残っていたものの、ついに一帯の再開発によって立ち退きを余儀なくされた。


「壽昌青春マンション」の再利用案と実行、リノベーション、当初の運営は文化体育観光部主管によるものであったが、運営については2018年から大邱芸術家協会が行っている。

レジデンス施設やセミナー室などの広い空間を擁する大邱芸術発電所の建物は、外から見ると巨大な旗艦にも見える出で立ちだが、壽昌青春アパートは昔の建物らしくこぢんまりとしている。
すべて3階建てのA〜C棟で構成されており、C棟は管理棟として使用されているため、一般の市民や観覧客が入ることができるのはA棟とB棟のみである。

向かいにある大邱芸術発電所。こちらは煙草製造工場だった。



今回『INSIDE OUT』とのタイトルにて、公募で参加した若手作家による展示が行われていた。
この展覧会タイトルは2015年のディズニー映画のタイトル(邦題は『インサイド・ヘッド』)と同一であり、裏返しを意味する。
つまりそっくり外と内をひっくり返すことである。
長い歴史上、いつでも芸術家は個人的、あるいは社会的な人間の内面を観覧客の目に見えるよう、外側へと表現してきた。その手法は時代によって当然変化してきたわけだが、では今、今の時代に生きる若い世代の作家たちはどのようにそれを表現するのか? というところに主眼が置かれた展覧会である。


キュレーターはノウアスフィア・コンテンポラリーアート研究所所長のカン・ヒョジン氏。ソウル市立美術館キュレーター、大邱美術館展示チーム長を歴任後、ノウアスフィア・コンテンポラリーアート研究所を設立、展示企画や出版、セミナー等を行ってきた。2018年には大邱写真ビエンナーレの共同キュレーターを務めている(同展の芸術監督であるフランスのAmi Barakとキュレーションを行なった)、大邱の文化活動に大きく寄与している人物である。

参加作家はキム・カウル(김가을)、キム・アンナ(김안나)、キム・ウォンジン(김원진)、キム・チャンミ(김찬미)、リュ・ウンミ(류은미)、リム・ユ(림유)、パク・ジナ(박진아)、パク・ヒョンチョル(박현철)、オ・スンオン(오승언)、イ・ギョンミン(이경민)、イ・ギュジン(이규진)、イ・ウス(이우수)、イ・チェウン(이채은)、イム・ヘジ(임혜지)、チェ・ウォンギュ(최원규)の15人で、皆若い作家たちだ。
それぞれの作家がそれぞれのやり方で、「内面」を裏返して見せてくれている。

イ・ウス「消失 息」

会場に入ってすぐ、大きなスペースを取っているのがイ・ウスの作品だ。
森のようにジャングルのように、綱が垂れ下がっている。時に結び目がついているので、絞首刑の風景にも見えてくる。
たくさんの螺鈿で覆われた古いタイプの化粧台の鏡に映像が投影され、光が跳ね返って像が壁に映されている。人の足元や風景などの鮮明でない像が一瞬だけ確認できるような、途切れ途切れの古いフィルムに、人、あるいは自分の記憶を弄っているような感覚になる。

キム・ガウル「青い波濤の光」
本展で最も多く作品を出していたイム・ヘジの作品。
写真上は多数出されていた油彩作品の一部、写真下はTシャツやカーテン、大きな布団にゴキブリが無数に刺繍された「惨たらしい幻想」シリーズ


空間は、1人の作家ごとになんとなく区切られている感じがするが、途中でそれが官舎の1戸分の区切りであることに気づく。
空間ごとに、同じ位置に台所のシンクが据えられていることからもそれは伺える。

イ・チェウンの作品。
映像作品「”I don’t want REALISM, I want MAGIC”」では、映画「オズの魔法使い」、大邱で弾劾後も根強い人気の残る朴槿恵元大統領が、大統領選に出馬する直前の2012年11月25日に「国会議員の職を辞する」と記者会見で述べようとしたところ、「大統領職を辞する」と言い間違えたハプニング映像、セウォル号事件の映像がループで流される。
周りにはオズの魔法使いから翻案した油彩画が飾られ、奇抜な色に染められた毛むくじゃらの三角コーン(オズの魔法使いの臆病なライオンをイメージ)が注意喚起をするように林立している。
キム・チャンミ「すべてが錯覚だったのかもしれない」
椅子や机などの家具が梱包材で厚く包まれ、クッションなどの小物家具も、梱包材で作られている。これは作家自身の人生で何度も転居せざるを得なかったという経験から、自分の所有物が梱包材に包まれることで不明になる、忘却されてしまう現象(これだと思って梱包材を開けたら違った、転居の前は使っていたのに使わなくなったことなど)に感覚を鋭くすることになった。自らの所有物に対してすらこうなのに、「〜のつもりだった」と思い込んでいる自分の感覚は本当に正しいのか?という疑問が出発点。写真作品では家具だけでなく部屋の壁も梱包材に隠し、誰かの部屋ということも忘却される空間を作り出している。
オ・スンオン「Artist」
縫製されている部分以外を取り除いた洋服を着た人物の写真。
縫製のおかげで布は立体になり得、洋服となる。服の中身と服の本質を一緒に見せてくれる作品。
チェ・ウォンギュ「FLOW-the mind gap」
伝統的な家屋(韓屋)で使われていた柱をインスタレーションに使っている。
青いLEDの光を反射しているのはウレタン。建築では断熱材としてよく使われる。
鍾乳洞のような空間は作家の心理状態を現しており、男性優位の韓国で社会的に家長=大黒柱を要求されることのプレッシャー、身動きの取れなさ、それらに対する鬱屈が表現されている。
パク・ヒョンチョル「egg」
螺旋階段で地下に降りていくと、真っ暗な中に何かが息づいている。足元に藁を感じ、鼻に革の匂いを嗅ぐ。わずかな光によって、苦しげな息を吐いているものが動物であり、何か鹿の角のようなものが見えて、しかし姿は牛のようでもあることが察せられる。強い革の匂いにそれがもはやこの世のものではないことがわかるのに、その何物かが苦痛を感じさせるほかない呼吸(生きるには欠かせないにも関わらず)をしているのを、不安を持って見守るしかない。
キム・ウォンジン「The Depth of Distance(千尋の海)」
2年間集めた(何らかの)記録物を燃やし、その灰を混ぜた材料と蜜蝋とで作った板を割り、本の形に敷き詰めた作品。本を読めばその内容や書かれた情景、行間の心理状態すら明確に掴めるのに、本を閉じてしまえば時間とともにそうしたことを忘れてしまう虚しさと、そこから頼りないにしても呼び起こそうとする記憶を表現している。

若い作家ばかりの展示、しかも地方におけるそれは、やけにポップだったりファンシーな表現になってしまったりするのではと不安であったが、本展はかなり楽しめた。
キュレーターの腕と言えるのかもしれないが、こうした力のある若い展示が地方で見られることはうれしいことであった。

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