
ク・ボンチャン(具本昌)は1953年生まれの韓国を代表する現代写真家で、日本ではヒステリック・グラマー写真集シリーズに選ばれたことがきっかけで彼を知った人も多いかもしれない。
6月1日から7月17日まで京都の何必館で彼のこれまでの作家活動をたどる展覧会が開かれたが、ソウル・国際ギャラリーでの個展は、彼の近作『白磁』シリーズの展示となっている。
『白磁』シリーズは、入植先の土地で発見された素朴な美術品として、あるいはボーン・チャイナよりは安価なオリエンタリズムとして、日本をはじめ世界中へと散っていった朝鮮時代の白磁を撮り歩くというものである。

本展に寄せた作家の言葉には、以下のようにある。
“1989年、ある冊子で目にした1枚の小さな写真は、いつも博物館で何気なく見るだけになっていた白磁の美に、私を目覚めさせた。
写真はオーストリアの著名な陶芸家ルーシー・リー(Lucie Rie)を写したもので、彼女の横に置かれた朝鮮時代の白磁を見た瞬間、その量感となだらかな線に感動し、時間がつけた引っかき傷と白い肌のような表面に、はるか遠く故郷を離れ、見慣れぬ外国人の横に置かれた白磁のわびしさを強く感じた。
その白磁が、まるで私の助けを待っているようだった。
それから15年という月日が流れたあと、私はこの仕事に取り掛かった。
博物館の収蔵庫で、あるいはガラスケースのなかで息を殺し、慎ましげに待つ白磁たち……。
ひとりひとり、ポートレートを撮るように近づいた。
単純な陶磁器以上の、魂をもつ入れ物として、われわれの心も作り手の心も込めることのできる器として見てもらえればと思う。”
(国際ギャラリーのホームページより抜粋して翻訳)
ク・ボンチャンは繊維会社を経営する家に生まれ、名門・延世大学校経商学科を卒業後、いったん大企業に勤めたが、組織的な生活に疑問を抱いて1979年に退職、ドイツのハンブルク美術大学に留学する。
写真を学び1985年に帰国するも、開発が進んで様変わりした故国に驚く。ソウルオリンピック(1988年)を控え、経済的・文化的成長を遂げようと、韓国がさなぎのようにその身を大きく膨らませていたころである。
作家は、その都市にひしめく人びとの姿をドキュメント風にカメラに収め、モンタージュのように組み合わせたシリーズ『長い午後の尾行』を発表する。
1990年代からは、人体の一部分を写真に切り取ったプリントをミシンで縫製しつなげるという、大きなタペストリーのような作品シリーズ『太初に』を製作している。
ミシンを用いるところに、作家の出自がかかわっているようにも見える。
さらに、朝鮮半島古来の紙・韓紙(ハンジ)に昆虫や蝶をプリントして標本のようにガラスケース内に並べて見せた『グッバイ・パラダイス』、苦悶しながら死に行く父と周辺の事物を撮影した『息』シリーズを続けて発表した。

それまでは写真にエフェクトをかけたり、一部をトリミングしたり、インスタレーション様にするなどの加工を加えた写真表現を試みているが、被写体に降り積もった時間を噛みしめるように、壁に入るヒビをひたすら静かに撮り続けたシリーズ『時間の絵』以降は、被写体と真正面から向き合い語りあうような手法で撮影を行っている。
そしてこのころから、作家はものが醸し出す時間の経過と時間の量感に興味を集中させていく(『時間の顔』『interiors』『ホワイト』『石鹸』)。
やがてク・ボンチャンは、伝統的な仮面劇で有名な安東河回村の仮面や役者たち、そして今回の『白磁』といった朝鮮半島特有の民俗的な事物をテーマに、作品を撮り始める。
ヒステリック・グラマーの写真集にも掲載されている『仮面』シリーズは、広大(クァンデ)という芸能集団によって引き継がれてきた仮面劇の演目や配役別に写した写真群で構成されている。
仮面に焦点を合わせ、周辺に近づくほどやわらかくぼやけたその像は、今では観光客を喜ばせる役割が強くなったこうした仮面劇にあっても、仮面が自らと他者をあざむき、自分の存在を現実から浮遊させ、劇の中に没入させる仮面と人の表現の共犯関係を感じさせる。
仮面のそうしたはたらきのために、あれほどのどぎつい権力者批判や性的描写が可能になるという、仮面劇の原点をやわらかに突きつけられたような思いがする。
(このシリーズは、京都の高麗美術館でも展示されたことがある)


『白磁』シリーズで最も多く撮られているのは、タルハンアリという腹の部分がでっぷりと膨れた壺である。ひと目で鷹揚さや素朴さを感じさせるこの壺は、満月をイメージして作られたもので、韓国の国宝(262号、309号、310号)や重要文化財(1437号、1438号、1439号、1441号)にも多く見られ、白磁といえばまずこのフォルムを想起するだろうという、代表的なイメージをもつ様式である*1。
作家が見た写真に写る、ルーシー・リーの横にあった白磁もタルハンアリだ*2。だからこそ、このシリーズでもっとも多く撮られているのだろう(美術品として残された白磁としては、タルハンアリがもっとも多いであろう点を差し引いても)。
なお複数のタルハンアリをグラデーションとなるように明度を変えて撮り、空に浮かぶ満月の動きを表現しようと試みた作品もある。
今回『白磁』シリーズが展示されている国際ギャラリーの1階には、カラーでフォトアクリル加工された大判の作品が並ぶ。フォトアクリル加工が、釉薬の持つ透明感を付け加えてくれている気がする。
乳桃色の影をたたえた白磁の丸い(まろいと言いたい)輪郭は非常に柔らかで、厳しさはなく、ただ優しい静けさを見せてくれる。まさしく「慎ましげに待つ」という風情だ。作家がこの姿に恋するのも理解できる。
ただ、釉薬部分が擦れて薄くなったような傷や大きな貫入(釉薬に入るヒビ)をみると、この器の経てきた、時間に思いをはせることができる。
2階に展示されているのはモノクロの作品たちで、カラーの作品にくらべきりっとしたイメージだ。白磁が経た悲哀だったかもしれない運命を、さらに強く感じることができる。
(ギャラリー内の様子を写した写真はこちら:パク・ゴニ文化財団ホームページより)
展覧会原題:Bohnchang Koo
2018.10.30.再編集
2019.6.2 写真変更
後注:
*1:2018年平昌オリンピックの聖火台もタルハンアリモチーフであった。
*2:参照ページ(https://www.vogue.co.uk/article/suzy-menkes-lucie-rie-lunch-with-jonathan-anderson-and-issey-miyake)