
国際展にはあまり姿を見せないが、韓国内ではその童話的世界が好意的に評価されているチョン・ソンミョン(천성명:千成明)。
1月23日まで国立現代美術館で開かれていた日中韓の若手〜中堅実力作家を紹介する展覧会『若き模索2004』展にも、韓国代表として選ばれている1971年生まれの作家である。
(なお『若き模索2004』展の他の韓国代表作家はクォン・オサン[권오상]、イ・ヒョング[이형구]、チョスプ[조습]、パク・ヘソン[박혜성]、ファン・ヘソン[황혜선]、ヤンアチ[양아치]。日本代表作家はヤノベケンジ、クワクボリョウタ、川島秀明、ムラギしマナヴ、中村哲也。中国代表作家は俸正杰[Feng Zhengjie]、洪浩[Hong Hao]、洪磊[Hong Lei]、邢丹文[Xing Danwen]、王慶松[Wang Qingsong]、魏東[Wei Dong]、趙半狄[Zhao Bandi])。
チョン・ソンミョンは、自分を模した彫刻を配置したインスタレーションを制作する作家で、人の心奥深くに沁みついた記憶や傷、後悔、呵責、現実との葛藤や苛立ちを、奇妙な物語を通じて表現する。
それは実際の記憶を越えた別世界であり、童話のような不思議さ・やわらかさと暗く索漠とした印象を共に持ち合わせている。
大人になった作家本人の顔をしながらも、子どもの体をもつ物語の主人公の顔には、孤独と絶望の色しか見えない。
韓国の本屋で見かける絵本は、鮮やかでファンシーな彩りが使われ、明るい顔をした子供たちが満載された日本のそれとは少し異なり、色彩がちょっと暗めのトーンであったり、不安げな表情を宿したキャラクターが現れるものが多いような気がしている。
そうした少し作り手の内面が見えるような物語に韓国の人々は慣れていて、それがチョン・ソンミョンの作品への共感につながるのかもしれない、などと思う。
仁寺洞にあるGallery Sangで行われた今回の展覧会では、ある少女への追憶が主題となっている。
幼いころに日が暮れるまで一緒に遊んだ少女。
彼女と会えなくなったあと、彼は当然成長し、学校、軍隊、社会生活などを経験する。
ある日、夢でしばらくぶりに会えた思い出の少女は、彼の眼を見ようともせず、横たわっていた。
少女から女性への成熟が見てとれる体つき、しかしその体は触れられないほどにひび割れ、今にも崩れそうであった。その足には、少女が少女でいたときに、好んで履いた縞のソックスが着けられていた。
彼は黄色い花を振りまき、彼女を葬る。
この展覧会には、一編の詩が添えられている。

資料提供:Gallery Sang
森が目覚める前に
ある男が森に入って来た。
生い茂った森の木木は
まわりのすべてのものから男をかくして
男はその端からわずかに射す月明かりの下
みずからを無情に屹立させる。
そして月を仰ぎ見る。
鳥たちと木木は眠っていて
石と流れる水さえ眠っている。
月がみずから光らないように
月を仰ぎ見る男もみずから“自分”になることができない。
彼が彼自身でありえないとき、彼は悲しみの存在になる。
そして追懐もそこから始まる。
悲しみの芽がひとつひとつ熱病により育ったり男の表皮をたどるとき、
固まっていく手足の先から
それほどの深さに追懐が育つ。
今、月は影を長く垂れて
男はその影の中で
みずからまた他の追懐の存在になる。


資料提供:Gallery Sang
絶望した彼は、森を彷徨うように混乱し、その混乱の中に自分の分身を見る。
森の上を飛んでいたはずが、翼が自らの欲望のために重くなり墜落した自分、月から来たウサギに身を変えた自分……。
「ウサギに身を変えた自分」は、天井に頭を突っ込んだ少女の体を伝って流れる涙を、少女の真下に横たわり、口で受け止めている。
それを、幼いころ好んで来た縞のシャツを来た「自分」が眺めている。
「墜落した自分」は、背に翼がめり込んでいて、起き上がることができない。
その周りを、壁に頭を突っ込んだ少女が何人もの分身になって囲んでいる。
「むくげの花が咲きました…」という細い少女の歌声。
翼を失った彼は、暗い森よりは明るい月に行くためにまた翼を作り始める。
月に着いた彼は、自分とそっくりなウサギに出会う。
しかし、少女の涙を受けて生かされていたはずの「ウサギに身を変えた自分」は、自ら光ることのできない月に絶望し、命を絶っている。
その手首からは液体がぽとぽとと流れ出し、それを受ける金だらいは鮮やかな水色に染まっている。


資料提供:Gallery Sang
この詩とは別に、作家ノートに書かれたらしい独白型の物語もある。
・・・・
- ここはどこなんだ? 森? 灰色の線。
- 太い光芒? 節!
- 狭い裂け目? 起きなければ。
- 起きたいのだ。
- 僕は竹の森に伏せた。腹ばいに。
- 少し前までは僕の上に浮かんでいたのに。
- 僕の翼はどうしたんだろう?
- 背中の痛みのためにまったく動くようすがない。
- まさか僕の翼は折れてしまったのではないだろう?
- 僕がつくったものの中で、一番強くて、一番美しい翼だったのに。
- 羽毛が丸々として見えるよう風もたくさんふくめたのだけれど、絶対に折れるはずがない。
- いや、ちょっと欲を出したために少し重くなったけれど。
- そうだ、僕の体より少し大きかった。だから遠くまで飛べると思っていた。
- もう一度動こう。こんな風に横になっていられない。
- どこから間違ったんだろう?
- 大人になるうち、世の中が何か変だと思い始めた。
- 見えない巨人の手が僕の手首を掴んで背中を強く突いたのだ。
- ときには僕の頭の中まで侵入してきて、脳のある部分に自分の思い通りに手を加えていくこともあった。
- 精神をまっすぐ据えないと、本来の自分の思考を盗まれることもあった。
- いつのまにか僕は多くの人々と同じ場所で同じことをしており、自分がなぜ、何のためにそうしているのか、どんなに考えても思い浮かべられなくなった。
- そうして学校に通い、軍隊に通い、金を稼いだ。
- そうするうち、ある日夢を見た。
- しばらく会うことのできなかったあの少女の夢を。
- 長い髪、背が伸び、胸が膨らんでいたが、僕はひと目でわかった。
- しかし、彼女の目は僕を見つめてはくれなかった。
- 空虚な目と同様に、恐ろしく全身がパイのように小さく割れていたのだ。
- 僕は嗚咽をかろうじてこらえ、彼女の体をもとに戻そうと全力を尽くした。
- とてもひどく散らばった体のかけらを合わせるのは骨の折れることだった。
- 頭と胸をつなぐ首の一部分は、探すことが難しいと思われた。
- 遠くに打ち捨てられた脚を見た瞬間、こらえていた涙がわっと溢れ出た。
- 小さいころ、好んではいていた縞模様の靴下だ。
- 彼女は縞模様の靴下を履き、僕は縞模様のTシャツを好んで着ていた。
- 目を閉じてやりたかったが、まぶたは下りなかった。
- 何を見たかったのだろうか。
- 僕は小さいころに花びらを取りながら遊んだ黄色い菊の花を彼女に撒いてやった。
- 美しく見えた。花びらの中に横たわる彼女が。
- 僕は夢だと知りながらもわびしく泣いた。
- まるで、僕が目を閉じて「むくげの花が咲きました」と歌えば、彼女が閉じた目を再び開けて笑みを浮かべそうだった。
- だから目をしばたたかせながら、歌い続けた。昔のように。
- むくげの花が咲きました……むくげの花が咲きました……むくげの花が咲きました……
・・・・
このように作家は、夢のような幼少期とそこに住み続ける少女、それをまったく裏切る自分の今、そして現実との軋轢に堕落した自分を見る他者としての少女と自分を描き出している。
一瞬、童話のような不思議な雰囲気に気をとられるが、そこにあるのは見る者たちも憂鬱に感じるほどの絶望だ。
生きている限り、人間には現実に沿った狡猾さや矛盾を孕む言動は避け得ないのだが、それに慣れてしまったようでもあるわれわれに、避けがちな内面の葛藤や望まぬ今の自分の姿への非難、それによる心の空虚を見せつけてくれる。
写真資料を提供してくださったGallery Sangに感謝申し上げます。
展覧会原題:달빛 아래 서성이다
2019.05.23.再編集