第5回光州ビエンナーレ 光州市仲外公園 他 2004.09.10-11.13

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光州ビエンナーレ本展示場。
渡り廊下に、ジェニファー・スタインカンプの『帰らざる河』が見える

今回はソウルから離れて光州から。

1995年の初回からすでに5回を数える「光州ビエンナーレ」。
今回は、仲外公園の本会場、教育弘報館、5.18自由公園、そして新しくできた光州市地下鉄の駅構内や車両の4つに分かれて展示が行われている。

これは、光州ビエンナーレの名が上がるたびに解説されることであり、日本でもすでに知られていることとは思うが、光州は韓国の民主化運動を象徴する街である。
1980年5月18日に発生した、全斗煥のクーデターと金大中の逮捕・軟禁に反対する学生デモに対し、軍による制圧が加えられた。あまりに暴力的な制圧であったため光州市民たちが反発、学生デモに合流したことから、反逆罪の対象を市民たちまでに広げた軍の制圧行動は、27日までに及んだ。
制圧完了までに、政府発表では民間人の死者は165人、負傷後死亡した者が376名、行方不明者76名、負傷者3,139名といわれている*。

これを「光州事件」あるいは「5.18光州民主化運動」といい、1987年の大統領特設国民投票以前には、北朝鮮のスパイが煽動したことによる暴動であり、それに対して正当な鎮圧を行ったとしか国民に伝えられておらず、韓国では歴史の闇に葬られようとしていた事件だ(海外では、光州に潜入した外国人ジャーナリストによって、軍による無抵抗の一般市民に対する暴虐が報じられていた)。
民主化運動に奔走し、国家から命を狙われもした金大中が絶大な人気を誇るこの地は、中央に対する反骨の地としても語られる。


その光州に、光復(大日本帝国による植民地支配からの解放)50年の記念の年であり、また「美術の年」でもあった1995年(金泳三政権時代)、ビエンナーレが組織・創設された。
その創設趣旨文には、「光州の民主的市民精神と、芸術的伝統を下地に、健やかな民族精神を尊重し、地球村時代・グローバル化の一環として、文化生産の中心軸」としての役割を果たすことが謳われている。

以降その名は国際的に知られることとなり、今ではアジアを代表する国際展覧会となった。

光州ビエンナーレ2004のポスター。



今回の光州ビエンナーレのテーマは「一塵一滴」。
死(韓国語では死ぬことを「塵になる」と表現しもする)と生、文明と自然の対向を示している。

このテーマに対し、著名な詩人・高銀(光州事件に関連し、金大中と内乱陰謀を企てたとの罪で逮捕・投獄されたことがある。本ビエンナーレにも、美術家のパク・ブルトンと一緒に展示を行っている)の詩「”埃一葉、水一滴”に添えて」が贈られている。

한 톨의 먼지는 기억한다 〔一葉の埃は覚えている〕
그 누구의 삶으로 (その誰かの生を〕
대신 할 수 없는 〔代わることのできない〕
나의 삶을 (わたしの生を〕

한방울의 물은 말한다 〔一滴の水は言葉を語る〕 
그 웅덩이 〔その水たまり〕
그 바다에서도 〔その海にも〕
끝나지 않는 〔果てることのない〕
나의 삶을 〔わたしの生を〕

오늘도 하루가 저물어 간다  〔今日も一日が暮れていく〕 
나의 사유여  〔わたしの思惟よ〕 
한 톨의 먼지 〔一葉の埃〕 
한 방울의 물로 돌아가자 〔一滴の水に戻ったとたん〕
어쩌면 이 세계를 다시 생각 하리라 〔蓋しこの世界を再び思うだろう〕

39ヵ国84アーティストが集った今回の光州ビエンナーレ、芸術総監督は李龍雨(イ・ヨンウ 이용우、ニューヨーク大学、高麗大学校教授)である。
ナムジュン・パイクの伝記とインタビューで校正された「白南準、その熾烈な生と芸術」(ヨルム社)など、メディアアートに関しての研究や著書が多い。

また、光州ビエンナーレはもとより市民参加を掲げており、前の第4回(2002年)も、スタッフが皆市民たちというおもてなしの温かさが感じられるものとなっていた。
今回は、「見る美術から行う美術へ」というコピーのもと、市民や識者がアーティストと組んで作品作りをすることになっている。



本会場

会場の門をくぐって進むと、2つの展示場をつなぐ渡り廊下にジェニファー・スタインカンプの「The River of No Return(帰らざる河)」がお目見えする。
発光ダイオード(LED)スクリーンに、極端にコントラストのはっきりした川面が映し出されている。
分断の川をも連想させるタイトルは、マリリン・モンローの歌と主演映画から。

第1展示場のテーマは「塵」。
文明社会の空しさを語る作品が多くを占める。
たとえば、テレビも家も電話もペットもすべてあるのに、その中心にいる人はなぜか寂しく見える、という韓国のチョン・スチョン(전수천)のインスタレーション「風景画」は、観客に自分の身を振り返らせるような作品だ。

チョン・スチョン「風景画」

会場に入ると、自分の出版した本「Point Blank」をひたすら銃で撃ちまくるパフォーマンスを映したケンデル・ギアーズの映像作品「悪魔は決して眠らない」にいきなり釘付けになる(タイトルは聖書から)。
タッグを組んだのはイタリアで左翼的民衆運動を率いた政治哲学者、アントニオ・ネグリである。
ちなみに、近年までマルクス思想が一切排除され、ポストモダン思想が奨励されてきた韓国では、実際の敵を想定しないネグリの本はよく読まれているという。

中国の作家も目立っている。
岳敏君(ユー・ミンジュン)の、作家自身の顔をデフォルメした大げさな笑顔のキャラクターを幾十人も絡ませた絵画と彫刻「ロマン主義とリアリズムの研究」は、個性や思惟をなくした市民の姿を映しているし、人骨の灰で作られた大きな柱を壁に立てかけた孫原+彭禹(スン・ユエン+ペン・ユー、近年では横浜トリエンナーレやリヨンビエンナーレに出展)の合作「One or All」も死と生、肉体と霊魂について深く考えられた作品で、強烈だ。

日本人作家では、鳥光桃代が建築家の隈研吾とタッグを組んで「地平/視野」と題したインスタレーションとそれに連続する映像作品を展示した。
インスタレーションでは、ヨーロッパ人(映像ではドイツ人)、中国人(同じく香港人)、アメリカ人のサラリーマンを模した人形たちが利権を求めて箱庭(=世界)を匍匐前進で進む。
スタッフの女性が、かいがいしく何十体ものサラリーマン人形のネジを巻き、障害物にぶつかっても前進しようと喘いでいる彼らを棒で方向転換させてやっていた。


第2展示場「水」へ行くには、暗闇に赤色発光ダイオードの数字がささやかにきらめく宮島達男の「Time River」を渡って行く。
境界線、もしくは三途の川のように此と彼をはっきりと分けている存在として感じ取ることができる。
そこから連想されるのは、生と死、文明と自然、北と南、光州とかつての中央だ。

「記憶の部屋」 キム・スンヨン



第2展示場で特に印象的だったのは、キム・スンヨン(김승영)の「記憶の部屋」。
直径9メートルの水の盆に、天井から吊り下げられたいくつものスポイトから、それぞれ一定の間隔を守りながら水が一滴ずつ落ちる。
見ているわれわれの頭の中にも、目前にあるものと同じ緩やかな波紋が広がる。
周りは背面のない本棚のような木の柵に囲まれており、中の盆はなんとなく見えるが、中にいる人とは区切られている。
唯一人の出入りを許す何十センチかの隙間から中に入ると、観客は瞑想の空間を手に入れることができる。

この作品は、光州の高校で歴史を教える教師とタッグを組んで作られたということだ。


イ・キョンホ「ムーンライト・ソナタ」



第3、4展示場は「塵+水」がテーマ。

高級ブランドのプラダとタッグを組んだ、イ・キョンホ(이경호)の「ムーンライト・ソナタ」が非常におもしろい。
展示スペースには、炭酸せんべいのような駄菓子を作る機械と、作られたせんべいの山が置かれてある。
機械のあちこちには小型カメラが設置されており、撮影したライブ映像を四面の壁に映し出す。
定時にスタッフによるせんべいづくりが実演されており、ポン菓子を作るときのような音とともに機械からせんべいがものすごい勢いで飛ばされる。
空気抵抗を受けてせんべいが思わぬところに飛んで行くため、スタッフがそれを追って走るなど、慌ただしい。せんべいを飛ばす場面もカメラに写され、迫力ある映像が投影される。
できたてのせんべいをもらった。ほのかな甘み。このうえなく地味で懐かしいお菓子だ。

展示室の外には、ひたすら機械からせんべいが発射される瞬間が繰り返される宣伝映像が、モニターで映し出されている。
いい意味でとても馬鹿馬鹿しく作ってあっておもしろい。
そこに映し出される価格はひとつ1,000ウォン。高いと思ったら、少し前までプラダがデザインした紙袋に入れて売られていたらしい。
世界的有名ブランドと駄菓子の、対極のコラボレーションだ。

地下には「クラブ」と題して「美学的遊びの空間、クラブショー」が開かれる会場がある。
パフォーマンスなどは見ることができなかったが、展示がいくつかあった。
韓国美術史における重要人物そっくりの人形を並べた展示などは、ご愛嬌。
端に車椅子のナムジュン・パイクもいた。



サテライト会場

教育弘報館では、「韓国特急」というテーマで韓国作家の作品のみが展示されている。
キム・アタ(김아타)は、今までも撮り続けてきたヌードの人物と仏教を融合させた写真作品を、イ・ハンス(이항수)はレーザー光線と仏像を使った、これまでの作風と同様のインスタレーションを、シン・ミギョンは石鹸で作った彫像をトイレに飾り、利用者が手を洗うときに使ってもらうシリーズ「Translation-Toilet Project_비누」で仏像を出展しており、仏教色が強い。

5.18自由公園は「その他のなにか」と題されていた。
投げやりなタイトルに感じられるが、もっとも政治的な作品が集まっている。
5.18自由公園は、光州事件当時、逮捕された市民や学生らが拘留され、軍事裁判が行われた場所である。再現された裁判室などで展示が行われ、事件と場所の記憶、作品の政治性をはっきりと感じられる。

これも韓国の作家ばかりで、ピクトグラム様の人物をアニメーションや絵画に描くことで、戦争状態においていかに人間はただの駒になるかという作品を作ってきたイ・ブロク(サビナ美術館の『リアリング15年』展にも出展)や、韓国の街を写真に撮り、その中に溢れるほどにある看板の文字をすべて消して異様な雰囲気を演出したパク・ジュヨン(박주연)などの作品が並ぶ。


地下鉄駅のエスカレータの乗り口に、間島領一の作品の一部が見える。
トイレ。美大のグループが作ったもの。


「ビエンナーレ・エコメトロ」と題された展示は光州市地下鉄・錦南路4街駅にて行われている。
地下鉄駅で行われたのは、本ビエンナーレが「地球村との連携」を存在価値のひとつとしており、環境問題についても観客へ伝えようとするところが大きいせいもあろう。
また、新しくできた地下鉄を知って、親しんでもらう意味合いがあると思われる。

韓国ビデオアートの重鎮である陸根丙(ユッ・クンビョン:육근병)の「The sound of landscape + eye for field = a sperm」をはじめ、瞳だけが真っ黒であとは全身真っ白の子どもの等身大人形を扇形に並べたイム・ヨンソン「Dilemma -01 project」などが展示されている。

日本人作家では、間島領一の「Birth」は鳥の巣を模したインスタレーション、山本基の塩で細密な迷路を描いた作品「Intangble Nature」、大石広和の「Dot Fish」などの写真作品も見られた。


この光州ビエンナーレといい、釜山ビエンナーレといい、韓国の現代美術展の企画者は「普通の市民」と「現代美術」の間にある隙間を埋めようと心を砕いているようだ。
本会場では校外学習と見られる子どもの団体が多く、幼稚園児から高校生まで、嬌声を上げながらなだれこんでくる集団の多いこと多いこと。
ゆっくり静かに作品に没頭したい人には不向きな鑑賞環境かもしれない。

また、それが「市民や識者がアーティストと組む」というアイディアにもなったのだろうが、結果物としてみたとき、果たしてそれが良い効果を生んだのかどうかはよく分からなかった(過程は非常にいいものだったのだろう)。

前回の光州ビエンナーレで、市民参加のアイディアにより会場案内をまかされた光州市民に、「これが美術か? これも芸術か? 向こうの北朝鮮館で展示されている山水画のほうがよっぽど芸術だよ」と笑いながら言われた身としては、それよりかは、はるかに良いのかもしれないと思いつつ。

展覧会原題:광주비엔닐레2004
2019.07.21.再編集


後注:
*:2019年現在。2004年当時死者は162名とされていた。

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