韓国美術行脚

多多益善

다다익선

(ナムジュン・パイク、設計:キム・ウォン 国立現代美術館果川館蔵)

いわゆる「ビデオアートの父」

 ナムジュン・パイク(白南準:1932―2006)。

 ビデオアートの父、韓国が生んだ世界的巨匠と称される人、つまり録画映像を編集加工し、アート作品へと昇華させた先駆者として知られています。映像やテクノロジーを用いて作品を作るメディアアートにかかわる人や現代美術史に詳しい人なら、みな知っているはずです。

 情報の伝達やコミュニケーションをテーマに、多くの作品を作りました。日本で修学経験があるほか、芸術家として多くの仕事をしており、彼を知る日本の文化人も大勢います(なお彼は朝鮮戦争で国を脱し、アメリカ人としてマイアミで亡くなっています)。

 彼の作品には、ハイビジョン番組や映画で見るような映像美があるわけではありません。彼自身そこに価値を置いているわけではないからです。しかし、合成したり、エフェクト(視覚効果)をかけて単純化したり、ビビッドな色彩をつけたり、ズームイン/アウトを繰り返したり、さまざまなイメージが一度に現れるコラージュにしたりと、多彩な要素が詰まった作品は、今見ても楽しいものです。

 日本やドイツで長く音楽を修めたパイクは、フルクサスという1960年代に興った前衛芸術運動を経て、デヴィット・ボウイ、ローリー・アンダーソン、坂本龍一、マース・カニングハムら有名アーティストのパフォーマンスを世界の複数都市で同時にTV中継するプロジェクト『グッド・モーニング、ミスター・オーウェル』(1984)、『バイ・バイ・キップリング』(1986)で一躍世界にその名を馳せました。

 またこうした映像が映るブラウン管モニターで立体作品を作ったり(よく「ビデオ彫刻」と言われますが、本人はこの名称がお気に召さなかったようです)、簡単な絵を描いたり、パフォーマンスをしたり、哲人的な文章を書いたりというのが、今のわれわれに残されたパイクの仕事ということになります。


 パイクの精神的な師匠は、偶然起こる音を音楽として扱う理論やジャンルの創始者として有名なジョン・ケージです(ピアノの前に座って何も演奏しない『4分33秒』が知られています)。ケージは、芸術に対しデュシャンと似た態度を取っており、2人でチェスを指してその音を作品とする共同作業も行っています。

 その影響を一身に受けたパイクが、美しいバラを美しいまま作品にするはずはなく、現代美術の始祖の正統な孫という感じがします(なお芸術家でパイクの妻でもある久保田成子は、デュシャン作品のオマージュを多く作っていて、パイクは久保田からも大いに影響を受けています)。



『多多益善』は、高度な詐欺?

 その韓国が誇る世界的芸術家による巨大立体作品『多多(タダ)(イク)(ソン)』が、ソウル駅から地下鉄で30分ほどのソウル大公園内に建つ、国立現代美術館果川館(京畿道果川市)にあります。

 ただし公園の入り口から徒歩20分の奥座敷というべき場所に位置しており、駅の近くから20分間隔で無料シャトルバスが出ているものの、時間が合わなければ、公園の手前で独特の匂いをたてているポンテギやウミニナの屋台地帯を抜け、園内をめぐる「ゾウさん列車」なるファンシーな、しかし肝心のゾウさんがあまりかわいくない乗り物(有料)に乗って向かうことになります。

 そうして到着する果川館は、1986年の開館から、韓国現代美術の本丸として運営されてきました。天窓のある大きな吹き抜けホールを擁しており、そこに1988年のソウルオリンピックを記念して作られたのが『多多益善』です。

 本作は、パイクと建築家のキム・ウォン(金洹)の合作であり、ブラウン管モニターをぐるりと円盤のように配置し、それをピラミッド状に6層積み上げた塔になっています。

 直径7・5m、高さ18・5m、モニターは10月3日の開天節(朝鮮の始祖・檀君が王に即位した日とされる)を指す1003個(6インチ60台、10インチ552台、14インチ93台、20インチ103台、25インチ195台)が使われ、パイクの映像作品がランダムに映し出されます。
 モニターからの排出熱は塔の中央から上方へ出るよう設計されています。

 映像は、『グッド・モーニング、ミスター・オーウェル』『バイ・バイ・キップリング』など既存の作品が再構成・編集されたものです。前述のアーティストらに混ざり、韓国の史跡や街並み、巫堂(情報伝達やコミュニケーションを扱うパイクの作品において、生と死、時間と空間を超越するシャーマンである巫堂は、重要な要素です)による巫儀や、3台の太鼓を据えたプッチュム(太鼓舞)のパフォーマンスが映り、彼のアイデンティティを匂わせます。


 観た者は、まずその大きさとモニターの多さに圧倒されます。
 小さなモニターが付けられた仏塔の相輪にあたる部分は、天窓を突かんばかりに高く伸びています。大小のモニターは、さまざまな色を映しながらリズミカルにあわただしく明滅しています。
 作品の周囲にはぐるりと螺旋状の通路が設置されており、観客はさまざまな目線から作品を楽しむことができます。


 日本では「多々益々弁ず」ということわざになっている四字熟語「多多益善」は、「多ければ多いほど巧みに処理できる、好都合である」という意味で、劉邦と韓信が兵の指揮力について語らった史記のエピソードから生まれた言葉です。


 パイクは本作の構想について、徳川夢声の言葉を引いて説明しています。

放送というのは魚の卵のようなものである。魚の卵は何百万個と大量に生産されるが、そのうちの大部分が浪費され、受精に至らない。『グッド・モーニング、ミスター・オーウェル』は、世界中の数億の人々に向けて発信したが、その内容がどれだけ〝受精〟したかはわからない。だからこそ多多益善なんだ。

劉俊相「白南準のインフォーマル・コミュニケーションについて」『現代美術』1988年秋号第16巻3号14頁より翻訳


 またその4年前には、日本語でこう書いています。

ムカシ 徳川夢声は、こういった。
〝放送というのは 魚のタマゴみたいなものである。魚のタマゴは、何百万個と 大量に生産される。そして、そのうちの 大部分が 浪費されて、受精に 至らない。しかしのこりの、受精に 成功した方も、また 大変な数に のぼる〟(放送をしてみると、たくさんの人が、それを逃しているが、みてくれた人も また 厖大な数に のぼる、ということ)
ぼくは 放送の本質を これほど、美しく 表現した例を ほかに 知らない。放送の 面白さは、全然見知らない人に 出会うことである。

ナム・ジュン・パイク『タイム・コラージュ』ISSHI PRESS 1984より引用

 本作や国立現代美術館、韓国と多くの人が出会えるよう、思いを込めたと言えるでしょう。



 しかし本作は、当初『タトリンへのオマージュ』というタイトルで構想されたものでした。
 タトリンとは、ロシア帝国〜ソ連の建築家・美術家ウラジミール・タトリンのことで、代表作に『第三インターナショナル記念塔』があります。

 第三インターナショナルとはコミンテルン、つまり国際共産主義運動のことで、反共凄まじい全斗煥政権下にその記念塔を模したオマージュを作ろうというのは、美術館側としては最悪の提案でした。
 ダメ出しされたパイクは、「多多益善」にアイデアを変更します。「多多」はダダイズムのダダでもあるということで。


 なんだ、世界的芸術家、国家権力にビビっちゃったのか、と思った方もいらっしゃるかもしれませんが、ここでタトリンの『第三インターナショナル記念塔』を見てみましょう。

 螺旋状の構造物、無機質な外貌、円柱状の最高層が突き出たデザイン。

 『多多益善』、実質的に『タトリンへのオマージュ』のままですやん……。



 韓国には、有名なパイクの語録があります。故国を離れて以来34年ぶりに帰郷した1984年、インタビューで述べた「芸術は詐欺」発言です。

「そもそも芸術というのは半ば詐欺です。はめたり、はめられるものでしょ。詐欺のなかでも、高度なものです。一般の人たちを面食らわせるのが芸術です」

1984年6月26日付 朝鮮日報 「神話を売るのが僕の芸術」より翻訳

 これは記者に「時代の先を行きすぎて、前衛芸術に一般大衆はついていけないのでは。よくわからず、何が何だか、一杯食わされているようでもあり……」と聞かれ、答えたものです。
 パイクは他にもいろいろ語っているのですが、キャッチーな「芸術は詐欺」という部分が話題を呼びました。今でも韓国では、パイクをポジティブな意味で「詐欺師」と表現することがあります。


 また同時期に収録された、KBSの特別番組『白南準のビデオアート世界』で、パイクは「世界最大の詐欺師はマルセル・デュシャンだ。彼は詐欺を哲学にした」と語っています。

 つまり、パイクは世界最大の詐欺師の正統な孫。「多多益善」も本作の核を成す重要なコンセプトですが、同時にハッタリをかましつつ、表現の自由を行使したともいえます。
 彼は共産主義者ではありませんが、自由主義者、芸術家として自らの表現を守ることで、どれだけの国民の自由を脅かしたかわからない反共独裁政権が建設した韓国現代美術の本丸に、カウンターとなる共産主義の象徴をまんまと建てたわけです。

 痛快な詐欺といえますが、当時の政府や軍関係者に、タトリンを知る人がいなくて本当によかった(キム・ウォンは絶対に共犯者)。



それから

 最近韓国では、『多多益善』のブラウン管モニターが老朽化し、修理の見通しが立たなくなっていることが話題です。何度か長期点検を経て復活を遂げたものの、また現在、発火の危険性があるとして電源が落とされています。

 世界中のモニターが液晶に変わり、ブラウン管モニターとその部品の調達がかなりむずかしいという状況下で、作品の保存や解体について美術界の意見が割れています。
 作品を解体撤去せよとの意見は言語道断だ、パイクは哲学や概念を重要視しているのであって物質的なものにこだわる必要はない、ブラウン管の枠に液晶画面をはめ込んで再現する、保存できる最善の技術が生まれるまで電源を落としたまま待つ、などなど。


 共同作業者のキム・ウォンは、ウェブチャンネル「君のための文化芸術」のインタビュー(2018)で、このように証言しています。

「モニターの寿命は8万時間らしいが、その後どうするのかと白先生に聞いたところ、〝なぜそんなことを今心配するの? この芸術は今現在の芸術であって、その後については僕たちが気にすることじゃない、後の時代の人々がどう処分するかも気にしない。今ここでこの画面がピカピカしてることが重要なんだ〟と」

“대한민국이 낳은 최고의 예술가” 백남준 선생님의 걸작 국립현대미술관 다다익선이 생사의 기로에 섰다
https://www.youtube.com/watch?v=Zam6K3_QGlI


 古くより「芸術は長く人生は短し」と言いますが、パイクはそのように考えていなかったようです。

白南準は時折クリスタルの玉にさらさらと絵を描いて私にくれたが、水性ペンで描くため、そのうち絵が消えてしまうのが問題であった。なので「水性ペンで描いたら消えてしまわないか」と言うと、彼は「芸術というものは、本来少しの間存在しやがて消えてゆくものだ」と笑いながら答えるのであった。

李御寧「推薦の辞」 久保田成子、南禎鎬『私の愛 白南準―妻・久保田成子が語る白南準との生、愛、そして芸術』이순社 2010 より翻訳


 しかし、沈黙してなお『多多益善』はこのように人びとを集わせています。そうしながら人びとの意見を割っています、まるでバベルの塔のように。

 先述のインタビューでキム・ウォンは、「白先生はこの状況をどう感じると思いますか」との質問に、「〝笑っちゃうね〜〟ってなもんだ、ハハッ」と答えています。

 実はわれわれも、まだパイクの詐欺の手口に引っかかっている最中なのかもしれません。

『中くらいの友だち』vol.5 より許可を得て転載・編集

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