韓国美術行脚

光州、ビエンナーレ、 1995 年

광주, 비엔날레, 1995년

※イラストはホン・ソンダム『松明行進』から翻案




光州ビエンナーレ
光州広域市と光州ビエンナーレ財団が主催する、韓国最大の国際美術展。会場は中外公園内の光州ビエンナーレ展示館を中心に、光州市立美術館、国立アジア文化の殿堂(ACC)、5.18自由公園、教育広報館、大仁市場、無覚寺、光州劇場、旧国軍光州病院など、光州市内の施設や光州事件ゆかりの建物を活用している(用いる施設は回ごとに異なる)。
展示企画チームの人材は国内外から登用しており、第13回(2020年から2021年に延期)の芸術監督はヴェネツィアビエンナーレトルコ館など各国で展示企画や研究員を務めたデフネ・アヤス(Defne Ayas)と、ヴェネツィアビエンナーレインド館やドイツのマルティン・グロピウス・バウなどで展示企画を行ってきたナターシャ・ギンワラ(Natasha Ginwala)が、第14回(2023年)はイギリス・テートモダンの主席キュレーターであるイ・スッキョンが務める。




なーれなーれ、何になーれ

ビエンナーレ。
2を意味する「bi」に年ごとを意味する「ennale」(=annual)がついたイタリア語で、2年ごとに同じ名目で開催される美術展のことです。

その元祖とされるイタリアのヴェネツィアビエンナーレ(1895年〜)は、万博のように各国がひと所に展示館を並べ、金獅子賞というアワードが設置されているために、「美術のオリンピック」ともいわれます(なお、美術展において国家間で賞を競い、威厳を張り合うことの意義を疑問視する人もいます)。

3年ごとの開催だと、3を意味する「tri」がついて「トリエンナーレ」となります。
日本では、こちらの方がより知られているのではないでしょうか。
横浜トリエンナーレ、福岡アジアトリエンナーレ、大地の芸術祭・越後妻有アートトリエンナーレ、あいちトリエンナーレ、瀬戸内国際芸術祭、札幌国際芸術祭などが該当します。

世界中にこうした「なんちゃらナーレ」が多数存在し、その多くが1990年代、あるいはそれ以降に勃興しました。

アワードや国別の展示館は設置しないことが多いものの、ヴェネツィアビエンナーレと同じく国際展の様式をとり、何十という国からアーティストが招聘され、展示やパフォーマンスなどのイベントを行います。

あいちトリエンナーレ2016におけるソン・サンヒ『ビョンガンスェ歌2016 人を探して』(旧明治屋ビル)。
ビョンガンスェ歌(ビョンガンスェ打令、横負歌とも)とは、ある夫婦の出会いと死を通して流浪民の悲惨な生を描いたパンソリ(ソロオペラのような口承文芸)作品。ソン・サンヒは19世紀のパンソリ研究家・作家である申在孝の手によって唯一残るビョンガンスェ歌の台本になぞらえ、大日本帝国による朝鮮半島支配や朝鮮戦争、独裁政権を含めた韓国の歴史とそれによって生活を失った人々、20世紀以降の戦争によって生み出された世界の難民などのイメージのアーカイブ映像作品を展示した。会場には膨大な量のイメージについて解説も付されている。

その目的は、
自国と海外の文化交流であるとか、
観光客誘致であるとか、
地元の人材活用を含む地域おこしであるとか、
国内の芸術振興であるとか、
開催自治体や自国アーティストの国内外への宣伝だとか、
地域の人々と参加アーティストとの交流であるとか、
行政と地域社会の協働だとか、
社会やその地域が抱える問題の提起だとか、
国の知性や威信の誇示だとか、
お祭り楽しいとかさまざまであり、かつ複合的です。


横浜トリエンナーレ2014におけるキム・ホンソクの『熊のような構造物-629』
横浜市の複数地区に、熊にもゴミ袋にも見える物体を設置した作品。写真は横浜駅のもの。
なおキム・ホンソクの名は英語表記から日本語ではよく「ギム・ホンソック」と誤記される。


一般的な展覧会のように、美術館に所属する学芸員やキュレーターによって企画運営が行われるとは限りません。


イベント性が強く、「なんちゃらナーレ」ごとに創設・開催趣旨が異なり、主催者が異なり、開催場所が異なり、かかわる地域の人や社会が異なり、時代が異なり、などするために、「なんちゃらナーレ」はいろいろなものになーれるし、多様な議論や結果を残せるはずのものです。

一方で、「どこの国のなんちゃらナーレも似たり寄ったりだ」というような指摘もあり、各「なんちゃらナーレ」は独自性のある展示を継続して企画・実行し、存在意義を示していくために知恵を絞っています。

また旧作ではなく、現地で制作した作品や、その年の展示テーマや地域の人びとから触発されたり、ヒントを得たりした作品を制作する参加アーティストも多くなります。




韓国最大のなーれ

2016年光州ビエンナーレ(テーマ「第8気候帯 芸術は何をするのか?」)メイン会場。
オランダのアーティストグループMetahavenによる大きな壁面作品「宇宙の虚偽情報」が目を引く。


さてお待ちかね韓国でも、「なんちゃらナーレ」が数多く開催されています。
ビエンナーレばかりその数16(2018年現在)、ビエンナーレ天国ともいわれる韓国ですが、そのなかでも光州ビエンナーレ、釜山ビエンナーレ、ソウルメディアシティビエンナーレ(2018年にメディアシティソウルから改称)が3大ビエンナーレとされています。

2006年以降、西暦偶数年のほぼ同時期(9〜11 月)にそろって開催されるようになったこの3つのなーれのうち、最も規模が大きく、国際的に知られているのが、光州ビエンナーレです。

※なお2020年の全世界的なCOVID-19流行によりこうしたビエンナーレを始めとするイベントは延期・再延期・規模縮小を余儀なくされた。光州ビエンナーレは2020年の9月から2021年4〜5月へ延期されたのをきっかけに、次回の2023年も5月前後を開催予定としている。



光州ビエンナーレは1995年に始まりました。

1995年は光復(日本統治から主権を取り戻した日)から50年の節目であるとともに、グローバル化を推進する金泳三政権下の文化体育部(現在の文化体育観光部)が、美術振興の一環として制定した「美術の年」でもありました。

現代美術に関してはこの年に、ヴェネツィアビエンナーレ韓国館の建設(これに尽力したのがナムジュン・パイクです)、そして光州ビエンナーレの開催という大事業が行われています。

2014年光州ビエンナーレ(テーマは「拠り所に火をつけろ!」)における、ソン・ヌンギョン『特定の人物とは無関係』。1977年に発表された作品を再制作したもの。新聞に記事として掲載された人物の写真を無作為に選んで写真撮影・拡大し、シルクスクリーンで印画し目隠し加工を施した。犯罪者の写真によく施されていたこの加工によって肖像のイメージがまったく変わるという、メディアと写真の機能を考えさせる作品。



また同政権では、地方自治が進められました。

朴正煕政権以降の軍事政権下では地方選挙制が失われ、中央集権化されていましたが、民主化宣言から8年後の1995年、国の民主的発展を目的に自治体首長の直接選挙が34年ぶりに復活しました。

それにともない、自治体は市民にとって魅力的な政策を策定したり、対外的に地域をアピールするなどの地域振興を行ったりする必要が生まれました。

こうした背景から、国家事業でも地方事業でもある光州ビエンナーレは、さらに「グローバル化」「地域性」という一見対義語のような2つのキーワードを一緒に表現する事業を実現しなければならなかったのです。

2012年光州ビエンナーレ(テーマは「Round Table」)メイン会場前に設置されたリルクリット・ティラヴァニジャ(Rirkrit Tiravanija、タイ)の『無題2012』。壁のように2重のネットが張られた卓球台は、南北に分かれた朝鮮半島を表現している。また台は鏡面になっており、ここで卓球、つまり争いや駆け引き、勝負、コミュニケーションを行う人たちの姿を映す。


第1回の光州ビエンナーレはテーマを「境界を越えて」とし、50か国91名の参加アーティストを7つの地域に分け、各パートに企画責任者が1人つくかたちで本展示が企画されました。
(なお「境界を越えて」は韓国においてお決まりのテーマで、長らくいろんなところで使われています)


他にも、ナムジュン・パイクが最高責任者となったメディアアート展「Infoart」、軍により民主化運動が弾圧され、民間人が多数殺害された光州事件(5.18光州民主化運動)で知られる光州の民主的市民精神・〝光州精神〞を扱った「光州5月精神展」「証人としての芸術」展など、6つの特別展が準備されました。

第1回光州ビエンナーレ開幕式。(撮影・提供:光州広域市、出典:光州広域市庁資料室


華々しく開かれた開会式では、以下のような宣言がなされます。

芸術の真の精神と価値は、文明社会の葛藤の中で本質的な危機に瀕している。
政治的なイデオロギーの時代、文化における覇権主義の時代が過ぎても、芸術の本質的な機能や信頼を問う声が止むことはない。

芸術は今、権威主義が自ら招いた孤立と観念を乗り越え、何ものにもとらわれない自由な時代精神の場に立たねばならず、また大衆との交流し支持を得るために、新しい畑を起こさねばならない。

1995年、世紀末、歴史の曲がり角において、光州ビエンナーレは新たな芸術の秩序のためにいかりを上げる。

光州、韓国、そして世界の歴史の歪みを主体的に克服し、芸術の興にあふれる祭典とするために、開かれた世界へとその機首を向ける。

同時に、分断された韓国の歴史を克服し、バラバラに引き裂かれた世界の歴史を芸術によって明らかにする〝光の州〟となるために、多様な文化の創造へ寄与していく。

芸術は対決や矛盾、暴力や差別を拒み、人間愛に基づき自然の精神を尊ぶものであらねばならない。
それは、芸術がもつ比類なき自生の力によるものであり、政治、産業社会がもたらした悲劇的な結末を癒す芸術の機能であると信ずる。

光州ビエンナーレは、光州の民主的な市民精神と芸術的伝統を礎とする。
健全な民族精神を尊びつつも、グローバル・ヴィレッジ時代、グローバル化の一構成員として、自らが文化を生み出す中心軸となっていく。

東洋・西洋が平等な歴史を創造し、21世紀においてアジアの文化が能動的にその芽を吹くために、そして太平洋時代の文化共同体のために、多様な民族それぞれが独自にもつ文化の生産方式を尊重する。

光州ビエンナーレは、欧米化よりグローバル化、また画一性より多様性のために、芸術の集中力や適応力を培っていくであろう。

芸術のあり方を、目指すべき未来の指標と現実認識のために等しく用い、伝統の価値を生そのものと精神のうちに求める文化運動へと成熟させねばならない。

そのために、先端科学と伝統の連携を模索し、自由と想像力に立脚した新しい時代精神を鋤き起こしていく。

第1回光州ビエンナーレ宣言文(1995.9.20).In:財団法人光州ビエンナーレ.第1回光州ビエンナーレ結果報告書.1995;345. を引用翻訳)


長い。ムズい。
しかしこれは、多少の修正や議論を経ながらも、光州ビエンナーレのアイデンティティとして今も脈々と受け継がれる重要な宣言なのです。


ポイントを挙げてみると、こんなところでしょうか。

  • 欧米の価値観が主導していたこれまでの美術展から脱し、多様な民族・社会それぞれがもつ文化とアイデンティティを尊重する展覧会をつくる
  • 芸術をグローバル化と多様性のために活かすことを目指し、その中心的存在となる
  • 作品をただ見せられるのではなく、市民たちが能動的に触れることができ、支持できる展覧会をつくる
  • 民主精神、芸術の根づく光州が、光州、韓国、世界の偏った歴史を自ら克服し、政治や産業社会から受けた傷を芸術によって癒していく



「政治や産業社会から受けた傷」とは、70〜80年代の民主化運動や労働運動とそれに対する弾圧のことでしょう。

「グローバル化」「地域性」の二兎を追う行政の意向を含みつつ、それを超えた芸術の力への信頼、権威主義や欧米至上主義を脱した文化運動を牽引する覚悟、アジアのなーれを背負って立つ自負心が読み取れます。

2016年光州ビエンナーレにおけるAnnie Wan Lai-kuen (尹麗娟、香港)の「エブリディ・レインボー」。
作家は韓国の日常を彩る色彩に感銘を受けたという。ビエンナーレ会場には韓国のシュポ(小型スーパー)に並ぶ食品で虹を作る一方で、市内の商店には色とりどりの商品の中にその商品と同じ形をした青磁の置物を紛れ込ませている。



議論を内包し、触発するなーれへ

こうして新しいビジョンを掲げた光州ビエンナーレは、しかし市民らがもろ手を挙げて歓迎したものではありませんでした。

光州事件の記憶が強い光州市としては、その傷に配慮しつつ、近代以前から多くの文人や芸術家を輩出した「芸郷」としてこのイベントを盛り上げようとしていました。

しかし、当時は光州に市民らを殺害することになる鎮圧軍を投入した全斗煥元大統領が不起訴となるなど事件の真相究明がなされておらず、また市長がビエンナーレ実施を宣言してから開催まで準備期間が短かったこともあり、光州事件の真実を明らかにせず責任者を断罪しないまま、急いで忘却させるためのお祭りと考える者もいました。

2014年光州ビエンナーレにおける、絵組同志(그림패 동지)の「母親労働者シリーズ」の一部(1989年)。
ユン・ボンモ(後に国立現代美術館館長に就任)によるキュレーションは、民衆美術展企画の第一人者らしい内容(現に光州と民衆美術は切っても切り離せない)。


そして光州美術人共同体(光美共)を中心に、全国から集まった民衆美術(美術による民族運動・民主化運動)の作家たち約100人が、支持する市民らの喜捨を受けながら、光州事件で命を奪われた市民らが眠る望月洞墓地一帯でアンチビエンナーレ展を標榜する「95光州統一美術展:歴史は山を越え川となって流れ」を、ビエンナーレと同日に開会するという抗議行動を行ったのです。


望月洞墓地へ続く4キロの道のりに、輓章(만장:葬儀の際に掲げる、死者を追悼する言葉が書かれた旗)を約1200本並べたこの美術展は話題を呼び、20万人を超える人びとが訪れたといいます。

ここで1つの対立構造ができてしまったわけですが、そこは「対決を拒み、光州の民主的な市民精神と芸術的伝統を礎とする」光州ビエンナーレです。
光州統一美術展の主催団体と協議のすえ合意に至り、賛否両論がありながらも、光州統一美術展は第2回(1997年)からビエンナーレの特別展として扱われることになります。

ビエンナーレ側としては〝光州精神〞をおろそかにしようとしたわけではありませんでしたが、「やることはやっている」と議論を無視したり拒否したりするのではなく、議論ごと受け入れ内包しました。
議論の存在を観客に見せることも、ビエンナーレの役割として負ったのです。


2016年光州ビエンナーレにおける、ドラ・ガルシア(スペイン)の『緑豆書店 生者と死者、われわれすべてのための』。
1977年に光州に開店した緑豆書店は民主運動家や学生らのたまり場であり、光州事件当時、武器を持たない彼らが国軍の弾圧に抵抗するために檄文を書き続けた場所である。実際の店はすでになくなり、本作は再現となる。展示中も、光州事件当時若者だっただろう市民が檄文を紙に書きつけていた



この妥結には1995年12月、「5.18民主化運動等に関する特別法」が制定され、全斗煥が同月と翌年1月に起訴、8月にはソウル地裁で死刑判決が下された(最高裁で無期懲役判決、その後特赦)という政治と司法の動きもかかわっているでしょう。

また、163万人という世界のなーれ史上まれに見る来場者を記録した光州ビエンナーレの絶大な影響と実際の内容を目の当たりにしたことも、「光州ビエンナーレの一部だと誤解されたくない」(「光州精神を商品化するビエンナーレに反対」 1995年10月4日付メディアオヌル、光美共イ・ジュンソク代表インタビューより引用翻訳)と反発していた光美共の態度を軟化させたのでしょう。

光美共は2002年に解散しますが、彼らの〝光州精神〞はビエンナーレへと受け継がれ、それに触れられない年はありません。

第12回(2018年)では、95光州統一美術展で展示された輓章のうち、現存する59棹が23年ぶりに公開されました。

2018年光州ビエンナーレ(テーマはImaged Borders 想像された境界)。
アジア文化の殿堂会場において23年ぶりに公開された95光州統一美術展の輓章。



また、参加アーティストが光州事件や韓国内外の民主化運動、あるいは国家権力によって迫害された人びとを扱った作品を制作・展示することも、いつものように行われています。

第10回(2014年)では、イム・ミヌクによる開会パフォーマンス『ナビゲーションID』が行われました。

これは保導連盟事件(朝鮮戦争中に各地で起こった軍・警察による民間人虐殺事件)のうち、全羅南道咸平郡における村民殺害、慶山コバルト鉱山虐殺事件と晋州民間人虐殺事件の遺族が発掘し、現地のコンテナ内に安置されていた犠牲者の遺骨を、光州事件の遺族会とともにビエンナーレ館前の広場まで移送し哀悼するというものです。

パフォーマンスを通し、この事件が再議論されることを狙いました。


光州ビエンナーレには常に、こうした死者への敬意と追悼、そして今を生きる者への教訓が含まれています。

2014年光州ビエンナーレにおけるイム・ミヌク『ナビゲーションID XからAへ』。
開会パフォーマンス『ナビゲーションID』を記録し、遺骨へのある場所への墓参、光州までの移送過程を報道番組風の映像作品に作り上げた。左下は光州・咸平・慶山・晋州の遺族が一堂に介している場面、右上はリポーター役の俳優が、遺骨の入ったコンテナの移送をリポートしている。
2014年光州ビエンナーレにおけるイム・ミヌク『ナビゲーションID』。
移送された遺骨入りのコンテナがビエンナーレ会場前の広場に安置されている。



また光州ビエンナーレはグローバリズムをその起点においているところから、戦争やテロ、マイノリティや女性などをはじめとするさまざまな人権問題、冷戦構造、民族分断、難民問題のような、まったく別の場所で起こっているにもかかわらず、世界に共通する問題を扱う作品もよく見られます。

たとえば第8回(2010年)に展示されたフランスのトーマス・ヒルシュホルンの作品『突き刺さるフェティッシュ』(2006年)は、自爆テロの現場で犠牲となり、血まみれ、あるいは肉塊となり果てた人びとの写真と、無数のネジや釘が刺さったマネキン人形の首が展示室に何百と並べられています。

ネジや釘は、実際に殺傷能力を高めるため自爆テロ犯が抱えた爆弾に仕込まれていることが多く、世界中で起こる悲惨なテロを生々しく告発し、見る者に痛みを体感させます。

本作は私にとって、これまでの光州ビエンナーレで見たもっとも過激で挑発的な表現だったと思います。



かなりシリアスな作品ばかり挙げましたが、どれもアーティストの問題意識を理解することができますし、テーマを慎重に扱い表現しているため、逸脱しているという印象は受けません。
快・不快を超えてその作品が訴えていることを考えるべきで、自分も関係しているという思いをもたらします。

また、過激でメッセージ性の強い作品ばかりではないのでご心配なく。
頻繁にガイドツアーが組まれるなど、作品を理解する仕組みも整っています。
作品を省察し、テーマや問題に関する議論や提案が自然に起こる場として楽しめます。

bien よ く , なーれ

「政治や産業社会から受けた傷を癒す」はずの光州ビエンナーレですが、行政が深くかかわる事業であるだけに、政治的な問題が生じたこともあります。

盧武鉉政権下では、第7回(2008年)の共同芸術監督に選ばれたシン・ジョンア東国大学助教授の学歴詐称問題や、助教授と近しかった青瓦台政策室長の職権濫用によって、助教授や共同芸術監督の地位などを得ていたとされるスキャンダルが発覚しました。


また朴槿恵政権下の第10回(2014年)では、光州市立美術館での特別展に展示予定だったホン・ソンダムの『セウォル5月(세월오월)』に対する検閲事件が起きました。

ホン・ソンダム『セウォル5月』が、2017年に光州市立美術館にて再展示された際のニュース映像。


セウォル号事故を題材にした本作は、コルゲクリム(懸垂幕画)という民衆美術の特徴的な様式で描かれており、そこからも政治的な意見表明であることがわかるのですが、問題は作品に描かれた、カカシ様の朴槿恵大統領やそれを操る父親の朴正煕元大統領、側近らの姿でした。

風刺的過ぎるとして光州市から修正を求められたホン氏は、企画責任者のユン・ボンモ(民衆美術展企画の第一人者)と協議のうえ朴槿恵大統領の姿を鶏に描き替えました。
しかし鶏は覚えの悪い者のたとえ(鳥頭)であり依然として侮辱的な意味をもつため、結局市から展示を拒否されてしまいます。

これは、ユン氏やイ・ヨンウ光州ビエンナーレ財団代表理事の辞任という事態にまで及びました。
韓国内でも「検閲であり、〝光州精神〞に泥を塗る行為」と大議論が起こり、作品出品を取りやめるアーティストも現れました。
最近日本のどこかで見たような光景です(なお『セウォル5月』は、朴槿恵罷免後の2017年同じ光州市立美術館で開かれた個展にて展示されました)。


財団は理事会の全メンバーを入れ替え、財団改革の進捗を報告する市民参加型聴聞会を開催するなど改革を行います。
こうした対応を見ていると、「つくづくスクラップ&ビルドのダイナミック・コリアだな」という印象を受けます。


多額の助成金を受け、国と強くつながる構造でありながら、展示内容が権力批判に富み、民主主義の根幹と理想を体現しようと強く志向するこのなーれは、市民とともに嘆き、「よくなーれ」と対話・議論し、エラーすら理想を求めるエネルギーに変えながら続いていくのでしょう。


〝光州精神〞あるかぎり。

同じくあいちトリエンナーレ2019において『平和の少女像』ならびに「表現の不自由」展中止に反発して展示を取り下げていたイム・ミヌクの『ニュースの終焉』。北朝鮮の金正日書記長、韓国の朴正煕大統領の葬儀にて泣き崩れる国民を写すニュース映像と、周りを取り巻く色鮮やかなチマチョゴリで構成されている。本作は2012年、作家が国立現代美術館の「今年の作家賞」受賞にともない制作した作品『半分の可能性』が元になっている。

日本でも、あるなーれが民主主義国家における政治と美術、表現の自由の問題をあぶり出しました。

同展の企画責任者の1人、ペドロ・レイエスが、

「危機は会話のきっかけになる。日本の現代美術シーンにはそういう会話がない。危機は皆にとって議論の始まり。本当の価値とは議論を続けることであり、非常にナイーブなかたちではあるが、そのスタートを切っている」

美術手帖ウェブマガジン 2019年10月5日付 あいトリ国際フォーラム1日目が開催、「表現の自由」焦点に議論より抜粋

と言ったように、「よくなーれ」と議論が尽くされると思いますが、当然そうであるはずと思っているものを疑い始めさせる、新しい考えをもたらす役割をもつ現代美術に対し、おそらく花鳥風月のような題材を高い描画技術で描くものという感覚のもとに「芸術性を問う」ているのだろう面々が見受けられるわが国も、良くも悪くも政治と美術のかかわりが切り離せない方のなーれに、何かありかたを学べるのでは、などと思うのです。

いつぞや、光州のタクシー運転手さんに「光州でこれは食べとけというものはありますか」と聞いたら、ブィンと走って横付けしてくれたヨンミオリタンのアヒル鍋は、せりが山盛り、一度食べるとア○ラックのアヒルですら食材に見えてくるうまさ。光州ビエンナーレに行かれた際はぜひ。

ホン・ソンダム(홍성담:洪性淡[洪成譚とも表記])
1955年全羅南道荷衣島生まれ。
美術による民族運動・民主化運動である民衆美術を牽引した画家、運動家として著名。
1979年朝鮮大学校美術科卒、同年9月に光州自由美術家協会(光自協)を結成、民族主義の強化や、既成の画壇や政治体制への抵抗活動を行った。
盧泰愚大統領時代には逮捕され、水拷問ののち国家保安法違反で懲役7年を言い渡されている。
その活動や作品には光州事件が大きく影響している。
代表作に版画『大同世上(대동세상)』『松明行進』、絵画『セウォル5月』など。


参考文献
光州ビエンナーレ(編).光州ビエンナーレ1995-2014.ソウル:光州ビエンナーレ.2015.
内務部.21世紀を指向した先進地方自治具現方向.内務部,1994,http://theme.archives.go.kr/next/localSelf/growthEra.do?page=4&eventId=00515533092019年9月23日閲覧)

『中くらいの友だち』vol.6 より許可を得て転載・編集



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